アダルト・チルドレン完全理解理解〜一人ひとり楽にいこう
(三五館)1996年 ¥1359

『アダルト・チルドレンという物語』(『アダルト・チルドレン完全理解』改題)
(文春文庫;文藝春秋) 2001年 ¥609(税込) 信田さよ子 著

親子関係、家族関係、他者との関係で「つらさ」を感じたことのある人すべてにおくる、第一線のカウンセラーからの「生きのびる」ヒント。一見、何不自由ない穏やかな家族にひそむ機能不全、その家族を保つため演じつづけることの苦しさ、残酷さを解きあかし、「自分」が人生の主人公である意識を取り戻す。(解説・寺田和代)

本書は、私の最初の著書であり、記念すべき本でした。
「書かなければいけない」というどこか突き動かされるような気持ちで書いたことを、昨日のことのように思い出します。でも、当時はこの本がこれほど多くの人に読まれるようになろうとは、正直夢にも思っていませんでした。
あれから五年が過ぎ、新たに本書は文庫本として生まれ変わることになりました。その五年間、アダルト・チルドレン(ACと略す)という言葉をめぐっては様々な動きがありました。その一つ一つを取り上げれば一冊の本ができるかもしれません。
こんなに分かりにくく、意味深い言葉が、あっという間にマスコミの流行語になってしまったのです。アダルト・チルドレンの直訳「おとなこども」からおそらくは連想されたらしい「未熟な人たち」として一部の困った人たちの格好のレッテルとして広まったのでした。成長しきれない人=ACという図式が、様々な事件の犯人像の推理の背後にみえかくれするたびに、心から憤ったのですが、そのうちにあきらめてしまいました。「トラウマ」「癒し」という言葉の流行にもACは貢献しています。自分の内面を見つめ、無意識を探るという従来のとらえ方とは180度異なる「心の傷を癒せばいい」という単純な因果論は、これまたあっという間に世の中の人たちに受け入れられたのです。何というお手軽でわかりやすい考えなのでしょう。ハウツー物の大好きなアメリカと同様に、インナーチャイルドなどという言葉もセットになってみんながそろって癒されたがったのでした。「癒し」「癒し」と連呼されるたびに、そのいやしさに気分が悪くなってしまったものでした。本書を読まれた方は、そんなものはACと全く無関係だということはお分かりいただけると思います。
しかしこれらはどちらかといえば単なる無理解から派生した現象なので、私自身もそれほど目くじらは立てないでおこうと思ったのでした。
しかしこの言葉を正確にとらえた上での反発も起こりました。 「親のせいにするのは甘えである」という批判はその代表的なものでしょう。一部の評論家は好ましくない言葉としてこれを捉えたようです。多くの「自立」「成熟」という言葉を価値あるものとする人たちがいっせいに反発したのでした。親への批判が自立に抵触するとは奇妙なことです。私にしてみれば「だって親のせいでしょ」と思うのですが、どうも親のせいにするというのは、わが国では最大のタブーだったようなのです。私はだれかれかまわず人のせいにしようなどといったつもりはなく、「親の加害性」を訴えただけなのに、それが人々の癇にさわったようでした。だから私は、ひどい親だったということを公言して楽になったひとたちに、きっと嫉妬しているんだと思うことにちたのです。
また「ACと思えば誰でもACなのだ」という点も批判されたのでした。精神科のクリニックに行って「私ACなんです。だから援助してください」という患者に対して、多くの医師は「診断するのは私だ」と怒るのです。どうも自分の抱えている問題に自分で名前を付けるというのは、わが国の医療では許されていないようです。医師の診断をあおぎ、診断名をつけていただかなくてはならないという構造になっていることを、改めて思い知らされました。
これらの出来事が皮肉にもあぶりだしたのはわが国の現実だったのです。つまり親を責めるのは許されないことであり、まともな大人はどのような親であっても最後は許していくものだということ。医療においては、当の診療報酬を支普Eっている患者の主観や判断よりも医師の診断が優先される構造になっているということ・・・これらがわかっただけでも何よりの勉強になりました。
しかしこのような大いなる誤解や批判、またはバッシングにもめげず、多くの人たちはこの言葉によって力を得たのでした。親からの支配を受けて育ってきたことを公然と語るのを許した最初の言葉として、インターネット上をはじめとして年齢を問わず広まっていったのです。
我々のセンターにも五年間で700人近い人がACと自覚してカウンセリングに訪れています。その人たちの言葉を聞くたびに、親からの虐待を受けてなおかつこの人たちは生き残ってきたのだと心から思わされました。ACという言葉の広がりは、おそらく現在の児童虐待問題への関心の高まりと同じ流れの中に位置付けられるでしょう。
親子関係が必ずしも愛情だけによるものではなく、暴力と支配に満ちたものであったこと、親の愛情といわれていても子供の立場からすれば虐待以外の何ものでもなかったことを、当事者の口から、子供の立場にたって語ることが許されたのです。それはわが国の親子観、家族観を根底から揺るがしたのだと思います。
また出版して二年間は読者からの手紙の届かない日はありませんでした。その内容はいずれもが「生まれて初めて親のことを書きます」と記されており、便箋何枚にもわたり延々と親から受けたつらかった経験がつづられているのでした。そして「思わずこんなに長く書いてしまって自分でも驚いています」と最後に書かれており、「読んでくださってどうもありがとうございました」と結ばれているのでした。
どうも本書は、そしてACという言葉は、人々の「物語りたい欲求」を刺激するようです。それもほかならぬ「自分と親との物語」を。
実は本書の一番のメッセージはこのことなのです。
私だちが何歳であっても親との関係を物語ることは必要であり、とてもいいことなのだということ・・・。
親を美化するのでもなく、許すのでもなく、ただ自分の主観や感情に忠実に正直に物語ることは許されるべきなのです。そのことで自分と親との関係を、自分と子供との関係に連鎖されることがいささかなりとも防げるのではないかと思うのです
本書をお読みになった方たちが親との関係を新たに物語りたいと思われることを何より希望しています。
このような私の気持ちもあって、『アダルト・チルドレン完全理解』(三五館)という原題を文庫版出版に当たって『アダルト・チルドレンという物語』と改題しました。病名やレッテルとして誤解とともに広まってしまったこの言葉のもつ衝撃力をあらわすには、どうしても物語という言葉が必要だと思ったからです。