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  <title>原宿カウンセリングセンター所長　信田さよ子のウェブログ</title>
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  <modified>2012-05-12T09:48:38Z</modified>
  <tagline>カウンセラーとしての日々の仕事から解放され、信田さよ子が自由に深夜の想念を綴るMidnight Blog</tagline>
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  <copyright>Copyright (c) 2012, sayoko</copyright>
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    <title>介護者サポートネットワークでの講演</title>
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    <modified>2012-05-12T09:48:38Z</modified>
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    <created>2012-05-12T09:48:38Z</created>
    <summary type="text/plain">GWも終わり思い出だけが残っている。後半の大荒れの天気もそれはそれで記憶に刻まれる。 結局溜まった仕事は完成できず、重い気持のまま仕事を再開したのだが、なんとか懸案の年余にわたる翻訳作業が軌道に乗ったことはうれしかった。 ヘンな話だが、高校時代英語の教科が大好きだったころを思い出した。辞書を片手に、まったく意味不明だったアルファベットの文字列が少しずつ　色彩や立体性を増していくプロセスをどこか楽しんでいた。自分で文章を作るのではなく、原語に限定された中でどれほど日本語として伝達可能なしかも美しい言葉を創り出すか。 翻訳という作業のもつ、それはひとつの創造性であり楽しみだろう。しかし今回の本はいちおう専門書ということになっているので、まあ、ごつごつしていても仕方がないか。でも、なんだかよみづらい本にしたくないというこだわりが出てしまう。 原語に忠実であることが必要なのか、それとも日本語としてすんなり読まれることが必要なのか。その点でJ.L.ハーマンの「心的外傷と回復」を訳された中井久夫先生には敬服する。あの本は、原本が一般向けだったということもあるのか、専門家だけにしかわかりませんといった妙なわかりにくさ尊重(高踏的）の姿勢がみられないからだ。 さて、来週の日曜(20日）は、千駄ヶ谷の津田ホールで、介護者サポートネットワーク「アラジン」主催の講演会で話、その後のシンポにも参加することになっている。介護者の苦しみや負担を考えると、介護者サポートは重要な役割を担っている。それを目的としているNPO法人アラジン主催のフォーラムなのだ。 近年介護者のトップは「嫁」から「娘」へと変わった。実の母をどのように介護するかということは、長年の母子関係があらわになることを意味する。その点で、母娘関係を基調に据える今回の企画はなかなか興味深いものになるだろう。なんていいつつ、講演するのは私なのだが・・・。 HPの私の講演予定欄にチラシがアップされており、申込みフォーマットも添付されている。 どうか多くの皆様、聞きに来てください。...</summary>
    <author>
      <name>sayoko</name>
      
      <email>ugp35311@nifty.com</email>
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    <dc:subject>講演</dc:subject>
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      <![CDATA[<p>GWも終わり思い出だけが残っている。後半の大荒れの天気もそれはそれで記憶に刻まれる。<br />
結局溜まった仕事は完成できず、重い気持のまま仕事を再開したのだが、なんとか懸案の年余にわたる翻訳作業が軌道に乗ったことはうれしかった。<br />
ヘンな話だが、高校時代英語の教科が大好きだったころを思い出した。辞書を片手に、まったく意味不明だったアルファベットの文字列が少しずつ　色彩や立体性を増していくプロセスをどこか楽しんでいた。自分で文章を作るのではなく、原語に限定された中でどれほど日本語として伝達可能なしかも美しい言葉を創り出すか。<br />
翻訳という作業のもつ、それはひとつの創造性であり楽しみだろう。しかし今回の本はいちおう専門書ということになっているので、まあ、ごつごつしていても仕方がないか。でも、なんだかよみづらい本にしたくないというこだわりが出てしまう。<br />
原語に忠実であることが必要なのか、それとも日本語としてすんなり読まれることが必要なのか。その点でJ.L.ハーマンの「心的外傷と回復」を訳された中井久夫先生には敬服する。あの本は、原本が一般向けだったということもあるのか、専門家だけにしかわかりませんといった妙なわかりにくさ尊重(高踏的）の姿勢がみられないからだ。</p>

<p>さて、来週の日曜(20日）は、千駄ヶ谷の津田ホールで、介護者サポートネットワーク「アラジン」主催の講演会で話、その後のシンポにも参加することになっている。介護者の苦しみや負担を考えると、介護者サポートは重要な役割を担っている。それを目的としているNPO法人アラジン主催のフォーラムなのだ。<br />
近年介護者のトップは「嫁」から「娘」へと変わった。実の母をどのように介護するかということは、長年の母子関係があらわになることを意味する。その点で、母娘関係を基調に据える今回の企画はなかなか興味深いものになるだろう。なんていいつつ、講演するのは私なのだが・・・。<br />
HPの私の講演予定欄にチラシがアップされており、申込みフォーマットも添付されている。<br />
どうか多くの皆様、聞きに来てください。</p>

<p></p>

<p><br />
</p>]]>
      
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    <title>GW始まる</title>
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    <modified>2012-04-27T17:37:25Z</modified>
    <issued>2012-04-28T02:37:25+09:00</issued>
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    <created>2012-04-27T17:37:25Z</created>
    <summary type="text/plain">習慣とは恐ろしい。 まめにブログを書くことにおいては人後に落ちないと思っていたが、少し遠のくとなんだか距離ができてどんどん敷居が高くなっていく。やっと怒涛の一週間が終わったのでひさびさにキーボードを叩くことにした。 今週は午前様が続き、睡眠不足気味だ。 とある出版社で不定期的にDVD鑑賞会を開催しているので、今週はセミ主催者として参加。メンバーが面白いひとたちばかりなので、その後の食事会も充実。あっというまに11時過ぎになってしまう。 おまけに帰りの電車が線路内に人が立ち入ったとかで、立ち往生。30分くらい経っても動かないので、大学院生のBくんと某通信社のTさんとタクシーで帰った。自宅に着いたら1時近くになっていた。 その翌日は先日のソウル行きでお世話になったUさんと弾丸編集者Mさん、話題の新刊を出したばかりのKさんとサムギョプサルをぱくぱく。 新大久保あたりの新興韓国料理店はいただけないが、その店はほんとにおいしい。なんだかソウルに居る気分になって4人で気勢をあげてマッコリをがぶ飲みしてしまう。 さらに昨晩は夜の8時半過ぎまで残業だったので、久々に友人と原宿の居酒屋風のお店でおしゃべりと日本酒。 こう書いているとなんだか連日飲み放題と思われるかもしれないが、話題はきわめて高尚な内容で刺激的で楽しいことこの上ない。 さて連載中の医学書院かんかん！「カウンセラーを見る」がアップされました。お読みください。 http://www.igs-kankan.com/ また単行本だった「共依存ーからめとる愛」が同じ朝日新聞出版から文庫化されました。表紙もなかなか素敵です。価格もお手頃ですのでぜひお求めください。解説を熊谷晋一郎さんが書いてくれました。これも必読！ いよいよＧＷが始まる。 とにかく溜まった原稿を四本完成させなければならない。請求がじゃんじゃんメールで届くたびに、瀕死のノブタの気分だ。気温も高くなるようなので、衣類の入れ替えもしなければならないし、鉢植え植物の土替えもしなくてはならない。ああ、いそがしい。 前半でノルマを達成し、なんとか後半は緑豊かな場所でゆったりできればと思っている。...</summary>
    <author>
      <name>sayoko</name>
      
      <email>ugp35311@nifty.com</email>
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    <dc:subject>著作・解説</dc:subject>
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      <![CDATA[<p>習慣とは恐ろしい。<br />
まめにブログを書くことにおいては人後に落ちないと思っていたが、少し遠のくとなんだか距離ができてどんどん敷居が高くなっていく。やっと怒涛の一週間が終わったのでひさびさにキーボードを叩くことにした。<br />
今週は午前様が続き、睡眠不足気味だ。<br />
とある出版社で不定期的にDVD鑑賞会を開催しているので、今週はセミ主催者として参加。メンバーが面白いひとたちばかりなので、その後の食事会も充実。あっというまに11時過ぎになってしまう。<br />
おまけに帰りの電車が線路内に人が立ち入ったとかで、立ち往生。30分くらい経っても動かないので、大学院生のBくんと某通信社のTさんとタクシーで帰った。自宅に着いたら1時近くになっていた。<br />
その翌日は先日のソウル行きでお世話になったUさんと弾丸編集者Mさん、話題の新刊を出したばかりのKさんとサムギョプサルをぱくぱく。<br />
新大久保あたりの新興韓国料理店はいただけないが、その店はほんとにおいしい。なんだかソウルに居る気分になって4人で気勢をあげてマッコリをがぶ飲みしてしまう。<br />
さらに昨晩は夜の8時半過ぎまで残業だったので、久々に友人と原宿の居酒屋風のお店でおしゃべりと日本酒。<br />
こう書いているとなんだか連日飲み放題と思われるかもしれないが、話題はきわめて高尚な内容で刺激的で楽しいことこの上ない。</p>

<p>さて連載中の医学書院かんかん！「カウンセラーを見る」がアップされました。お読みください。<br />
http://www.igs-kankan.com/</p>

<p>また単行本だった「共依存ーからめとる愛」が同じ朝日新聞出版から文庫化されました。表紙もなかなか素敵です。価格もお手頃ですのでぜひお求めください。解説を熊谷晋一郎さんが書いてくれました。これも必読！</p>

<p>いよいよＧＷが始まる。<br />
とにかく溜まった原稿を四本完成させなければならない。請求がじゃんじゃんメールで届くたびに、瀕死のノブタの気分だ。気温も高くなるようなので、衣類の入れ替えもしなければならないし、鉢植え植物の土替えもしなくてはならない。ああ、いそがしい。<br />
前半でノルマを達成し、なんとか後半は緑豊かな場所でゆったりできればと思っている。<br />
</p>]]>
      
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    <title>長らくのご無沙汰、申し訳ありませんでした。</title>
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    <modified>2012-04-08T15:11:03Z</modified>
    <issued>2012-04-09T00:11:03+09:00</issued>
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    <created>2012-04-08T15:11:03Z</created>
    <summary type="text/plain">これまでかなりまめに更新してきた私でしたが、このところ諸事情によりなかなか更新する時間がとれなかったために失礼しました。本ブログを訪問してくださったみなさま、ひょっとしてご心配いただいたのでは…と勝手に想像しております。 体調はそれほど悪くないのでご安心ください。 東京でもやっと桜が満開となりました。 黄色いレンギョウや純白の雪柳などもいっせいに開花し、本当に春爛漫といった美しさです。記憶にある限り、これほど桜の開花が遅れたことはなかったように思います。 ヨーロッパでは記録的に暖かな春だとか、パリでは23度、オスロでも15度といった便りが聞かれます。東京は昨日など、夜は真冬の寒さでした。震えながら夜桜見物をしたのですが、まだまだ枝の先にはつぼみがいっぱいで、この調子だと今週の半ばまで桜を楽しめるのかもしれません。 原宿カウンセリングセンターも新年度を迎え、いろいろ新しい試みを考えています。 ひとつは夜間もカウンセリングを実施できないかというものです。現在私は月木と、月一回ずつ残業をしています。近年、ウィークデイの昼間にカウンセリングに訪れることのできる人はだんだん限られてきたからです。 昼間仕事をしている人は、どうしても原宿にやってくるのが6時半すぎるのは当然でしょう。そのようなクライエントのニーズにこたえるために、私たちスタッフも夜間のカウンセリングを実施しなければと考えるようになりました。 まだ限定的ですが、少しずつ夜間のカウンセリングを始めております。しかしながら電話の受付は従来どおりの時間帯ですので、ご理解ください。 予告ですが、「共依存」の本が文庫化されます。 出版社は同じく朝日新聞出版です。できればGWには間に合わせたいのですが、確定したらまたお知らせします。 このところ文章を書く意欲が低下してしまっておりますので、今回も短めになりました。 なんとか充電して再度力の入ったブログを書けるようにしますね！...</summary>
    <author>
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      <![CDATA[<p>これまでかなりまめに更新してきた私でしたが、このところ諸事情によりなかなか更新する時間がとれなかったために失礼しました。本ブログを訪問してくださったみなさま、ひょっとしてご心配いただいたのでは…と勝手に想像しております。<br />
体調はそれほど悪くないのでご安心ください。</p>

<p>東京でもやっと桜が満開となりました。<br />
黄色いレンギョウや純白の雪柳などもいっせいに開花し、本当に春爛漫といった美しさです。記憶にある限り、これほど桜の開花が遅れたことはなかったように思います。<br />
ヨーロッパでは記録的に暖かな春だとか、パリでは23度、オスロでも15度といった便りが聞かれます。東京は昨日など、夜は真冬の寒さでした。震えながら夜桜見物をしたのですが、まだまだ枝の先にはつぼみがいっぱいで、この調子だと今週の半ばまで桜を楽しめるのかもしれません。</p>

<p>原宿カウンセリングセンターも新年度を迎え、いろいろ新しい試みを考えています。<br />
ひとつは夜間もカウンセリングを実施できないかというものです。現在私は月木と、月一回ずつ残業をしています。近年、ウィークデイの昼間にカウンセリングに訪れることのできる人はだんだん限られてきたからです。<br />
昼間仕事をしている人は、どうしても原宿にやってくるのが6時半すぎるのは当然でしょう。そのようなクライエントのニーズにこたえるために、私たちスタッフも夜間のカウンセリングを実施しなければと考えるようになりました。<br />
まだ限定的ですが、少しずつ夜間のカウンセリングを始めております。しかしながら電話の受付は従来どおりの時間帯ですので、ご理解ください。</p>

<p>予告ですが、「共依存」の本が文庫化されます。<br />
出版社は同じく朝日新聞出版です。できればGWには間に合わせたいのですが、確定したらまたお知らせします。</p>

<p>このところ文章を書く意欲が低下してしまっておりますので、今回も短めになりました。<br />
なんとか充電して再度力の入ったブログを書けるようにしますね！</p>]]>
      
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    <title>いつのまにか1年が過ぎた</title>
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    <modified>2012-03-10T16:14:05Z</modified>
    <issued>2012-03-11T01:14:05+09:00</issued>
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    <created>2012-03-10T16:14:05Z</created>
    <summary type="text/plain">多くのクライエントが調子を崩している。 3.11を迎えることによって、あの瞬間に始まった予想もつかないようなカタストロフィと惨状、そのことにまつわって想起されるさまざまな被害の記憶が襲ってくるからである。 被災地では津波に流されずに残った鉄骨だけの建物、船がビルの屋上に残された信じられないような光景を、震災の記憶（メモワール）として残そうという意見と、見るたびにつらいので早く撤去してほしいという意見があるという。 トラウマ、心的被害は、長期的スパンと多様性の幅をもってとらえられなければならない。忘れられてしまうことはたまらないという気持ちが起きるのはいつごろなのだろうか。一刻も早く忘れてしまいたいという気持ちは、この苦しみが続くなら死んでしまったほうが楽なのかもしれないということと同義なのかもしれない。忘却という言葉をめぐっても、多くのせめぎあいが起きる。この引き裂かれ感が被災者をさらに苦しめていく。 多くの被害者たちが、ふっとあのことを忘れている瞬間があるんです、と語るのは、2年・3年経ってからである。「あのことを忘れちゃいけないって思えるときが来るんでしょうか」というほど、圧倒的に被害経験に制圧されているひとたちにとって、自分が忘却できるなどということは信じられないのだ。 しかし、そういう自分の経験がなかったことになる＝忘却されるということはどうなのだろう。災害や戦争の記憶は、個人の責任を超えており、集団的記憶となるために、忘却そのものが被害の抹殺となる。 しかし個人的被害、たとえば性被害やDV被害はどうなのか。 それが、自分の恥、自分の落ち度という有責性を帯びている限り、秘密の記憶として密閉されるのかもしれない。しかし、相手に対する恐怖や怒りもどこかにあった場合、その記憶は完全に忘却されることはないだろう。忘れているわけではないが、忘れなければならない。このことは多くの女性における被害の特徴だろう。 できごとの意味、できごとにおける責任の有無がトラウマの問題には大きくかかわってくる。 3.11の報道が、彼女たちの個人的被害の想起をうながすという事実は、おそらくあの圧倒的無力感によるものだろう。個人を超えたあの津波の映像が、性被害やDV被害における彼女たち（時には彼ら）の感じた感覚につながるからだと思う。 とすれば、そのことの責任はどうなるのだろう。無力感・絶望感というものは、その主体の責任のなさとつながるのではないだろうか。抵抗などできない、これ以上どうしようもないときに、無力感が湧いてくるのだろうから。 明日（正式には今日）は日曜出勤だ。仕事をしながら、あの瞬間心の中で犠牲者のご冥福を祈ることにしよう。...</summary>
    <author>
      <name>sayoko</name>
      
      <email>ugp35311@nifty.com</email>
    </author>
    <dc:subject>地震</dc:subject>
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      <![CDATA[<p>多くのクライエントが調子を崩している。<br />
3.11を迎えることによって、あの瞬間に始まった予想もつかないようなカタストロフィと惨状、そのことにまつわって想起されるさまざまな被害の記憶が襲ってくるからである。<br />
被災地では津波に流されずに残った鉄骨だけの建物、船がビルの屋上に残された信じられないような光景を、震災の記憶（メモワール）として残そうという意見と、見るたびにつらいので早く撤去してほしいという意見があるという。<br />
トラウマ、心的被害は、長期的スパンと多様性の幅をもってとらえられなければならない。忘れられてしまうことはたまらないという気持ちが起きるのはいつごろなのだろうか。一刻も早く忘れてしまいたいという気持ちは、この苦しみが続くなら死んでしまったほうが楽なのかもしれないということと同義なのかもしれない。忘却という言葉をめぐっても、多くのせめぎあいが起きる。この引き裂かれ感が被災者をさらに苦しめていく。</p>

<p>多くの被害者たちが、ふっとあのことを忘れている瞬間があるんです、と語るのは、2年・3年経ってからである。「あのことを忘れちゃいけないって思えるときが来るんでしょうか」というほど、圧倒的に被害経験に制圧されているひとたちにとって、自分が忘却できるなどということは信じられないのだ。<br />
しかし、そういう自分の経験がなかったことになる＝忘却されるということはどうなのだろう。災害や戦争の記憶は、個人の責任を超えており、集団的記憶となるために、忘却そのものが被害の抹殺となる。<br />
しかし個人的被害、たとえば性被害やDV被害はどうなのか。<br />
それが、自分の恥、自分の落ち度という有責性を帯びている限り、秘密の記憶として密閉されるのかもしれない。しかし、相手に対する恐怖や怒りもどこかにあった場合、その記憶は完全に忘却されることはないだろう。忘れているわけではないが、忘れなければならない。このことは多くの女性における被害の特徴だろう。<br />
できごとの意味、できごとにおける責任の有無がトラウマの問題には大きくかかわってくる。</p>

<p>3.11の報道が、彼女たちの個人的被害の想起をうながすという事実は、おそらくあの圧倒的無力感によるものだろう。個人を超えたあの津波の映像が、性被害やDV被害における彼女たち（時には彼ら）の感じた感覚につながるからだと思う。<br />
とすれば、そのことの責任はどうなるのだろう。無力感・絶望感というものは、その主体の責任のなさとつながるのではないだろうか。抵抗などできない、これ以上どうしようもないときに、無力感が湧いてくるのだろうから。</p>

<p>明日（正式には今日）は日曜出勤だ。仕事をしながら、あの瞬間心の中で犠牲者のご冥福を祈ることにしよう。</p>]]>
      
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    <title>それでも、家族は続く</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hcc-web.co.jp/blog/archives/000888.html" />
    <modified>2012-02-28T13:56:59Z</modified>
    <issued>2012-02-28T22:56:59+09:00</issued>
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    <created>2012-02-28T13:56:59Z</created>
    <summary type="text/plain">明後日木曜、2月29日、朝日カルチャーセンター新宿教室にて講座開催。 テーマは4月に刊行予定の新刊本のタイトル「それでも、家族は続く」からとった。ＮＴＴ出版から出されることになっている。 この5年間ほどのあいだに、さまざまな媒体に書いた文章をまとめたものである。自分でも気づかないうちにかなりのボリュームになっていた。すべて深夜までかかって身を削って書いたものだと思うと、文章の内容はともかくなんだかいとおしい（ヘンな表現？）。 それでも、専門書的な内容は省き、時事問題的な文章も省いている。それらを入れたらかなりの量になっただろう。自分でもびっくりだ。 ＮＴＴ出版の編集者Ｍさんがその話を持ちかけてくださったとき、これまで書いた文章をまとめて本にするなどということが許されるのだろうか、と思った。 そんなことは、よほどの偉い作家か、ベストセラー作家か、名を成した先生くらいにしか許されるはずがないと思っていたからだ。私にそんなチャンスが与えられるなんて！と一瞬天にも昇る心地がしたのは事実だ。 明後日の講演の段階では、まだ本ができていないのは残念だが、タイトルを先取りして出版の暁の宣伝にしたい。 内容としては、具体的なＤＶとか虐待といった問題別というより、もっと総論的な問題についての論考になっている。また折に触れて書いてきたカウンセラーとしてのスタンスめいたものもかなり文章化している。 そのあたりのことをまとめて話してみたいと思っている。 ぜひ多くの皆様のご参加を期待しています。 明日は雪との予報だが、明後日でなくてよかった～、というのが本音。ひさびさの朝カルだ、楽しみだな～。...</summary>
    <author>
      <name>sayoko</name>
      
      <email>ugp35311@nifty.com</email>
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    <dc:subject>著作・解説</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://www.hcc-web.co.jp/blog/">
      <![CDATA[<p>明後日木曜、2月29日、朝日カルチャーセンター新宿教室にて講座開催。<br />
テーマは4月に刊行予定の新刊本のタイトル「それでも、家族は続く」からとった。ＮＴＴ出版から出されることになっている。</p>

<p>この5年間ほどのあいだに、さまざまな媒体に書いた文章をまとめたものである。自分でも気づかないうちにかなりのボリュームになっていた。すべて深夜までかかって身を削って書いたものだと思うと、文章の内容はともかくなんだかいとおしい（ヘンな表現？）。<br />
それでも、専門書的な内容は省き、時事問題的な文章も省いている。それらを入れたらかなりの量になっただろう。自分でもびっくりだ。<br />
ＮＴＴ出版の編集者Ｍさんがその話を持ちかけてくださったとき、これまで書いた文章をまとめて本にするなどということが許されるのだろうか、と思った。<br />
そんなことは、よほどの偉い作家か、ベストセラー作家か、名を成した先生くらいにしか許されるはずがないと思っていたからだ。私にそんなチャンスが与えられるなんて！と一瞬天にも昇る心地がしたのは事実だ。</p>

<p>明後日の講演の段階では、まだ本ができていないのは残念だが、タイトルを先取りして出版の暁の宣伝にしたい。<br />
内容としては、具体的なＤＶとか虐待といった問題別というより、もっと総論的な問題についての論考になっている。また折に触れて書いてきたカウンセラーとしてのスタンスめいたものもかなり文章化している。<br />
そのあたりのことをまとめて話してみたいと思っている。<br />
ぜひ多くの皆様のご参加を期待しています。<br />
明日は雪との予報だが、明後日でなくてよかった～、というのが本音。ひさびさの朝カルだ、楽しみだな～。</p>]]>
      
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    <title>ニーチェの馬</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hcc-web.co.jp/blog/archives/000887.html" />
    <modified>2012-02-21T16:50:32Z</modified>
    <issued>2012-02-22T01:50:32+09:00</issued>
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    <created>2012-02-21T16:50:32Z</created>
    <summary type="text/plain">本日は最新技術を使った検査のため午前中拘束。 いつも医療機関に行くと、偉業をなし遂げたような満足感が湧いてきて、ついつい昼食を奮発し午後は楽しいことをするのが常。時にはけっこう買い物をしてしまったり・・・（嗚呼、ダメな私）。 本日はイメージフォーラムにて「ニーチェの馬」（タル・ベーラ監督、2011）を観る。 驚いたのはほぼ満席だったことだ。それもどう見ても定年退職後の団塊男性軍団が席巻しているのだ。タル・ベーラ監督（T.B)が人生最後の作品と大見得を切ったからなのか、それとも若いころにニーチェに心酔した経験からか。全国各地で良質なミニシアターが閉鎖されていくが、大量に放出された第二の人生満喫組である彼らがせっせと足を運べば、なんとか経営が維持されるのではないかと思った。団塊の女性たちは、すでに着地点を見つけているのだから大丈夫だろう。 一昨年だったか、同じ映画館でT.Bの「倫敦から来た男」を見て衝撃を受けたので、今回はなんとか見なければと思っていた。 予想にたがわずすごい映画だった。以後、ネタバレご容赦。 いつも観終わってからひととおり自分なりの感想をまとめてからパンフを読むのだが、この映画を観てたぶんそうじゃないかな～と想像していたことが、ずばり当たっていたことはうれしかった。 登場人物(父と娘）の住む家は、土手沿いの道からくねくねと坂を下ったところに建てられている質素な石づくりの農家である。そこの窓から臨むと、小高い道の向こうは一面の空である。そして正面に枝ぶりのいい一本の樹がふきすさぶ風に枝をしならせて立っている。 「たぶんこの樹を気に入って、撮影場所を決めたんだろう」と私は直観したのだ。そして監督の言葉はそのことを裏付けていた。なんでもロケ地を探しているとき、一本のその樹が気に入り、そこを起点にして農家と馬小屋を建てたのだという。 沈痛な音楽が要所要所に流れ、旋律は一種類しかない。それはヤナーチェクのようでもあり、ジプシー音楽のようでもある。一幅の絵画のようなモノクロ画面、映画の最初から最後までずっと吹きすさんでいる乾燥した風、巻き上がる木の葉と土埃。会話のない画面。 聖書にあるように6日間のできごとが描かれるのだが、まるであの映画の世界と今の日本とが重なって見えたのは、おそらく3.11の震災と原発事故の影響が大きいだろう。 T.Bは脅威の長回し画面で有名だが、今回も出てくるわ出てくるわ、冒頭からカメラが追い続けて途切れないシーンの連続である。日常生活のどこにもドラマがないように、そこには意味も情緒も不在のままだ。カットの数はおそろしく少なく、そのことに焦りながら観客はまるで自分が監督になったような気分になる。 それにしてもTBの何が私を引き付けるのだろう。単にフィルムの長回しだけであれば、他にも何人も監督はいる。 強烈な違和感(要は意味不）を起こさせる場面展開、安易な解釈を固く拒むモノクロの画面が、パラドクシカルに観る者を惹きつけていくのは、「どう解釈するのか、おまえは」「どうだ、こんな長い沈黙に耐えられないだろう」というTBからの挑戦を感じるからだ。アンチハリウッドの強固な姿勢がそこに貫かれている。 座していればスクリーン上にはエンタテイメントが繰り広げられ、笑いと涙で満足できるという映画も大好きだ。しかしそれだけが映画ではない。 観るものの姿勢、解釈力を喚起し、こちらを査定するかのようなTBの意図に対して、受けて立とうじゃないかと、勇気が奮い立つのだ。ダルデンヌ兄弟の映画も少しそれに似ているが（長回しが多いし）、彼らの作品にはもう少しドラマ性があり、社会性がある。TBの作品からは物語性が極力そぎ落とされているため、よけいに観客の物語構成欲求が立ち上がるという効果もあるだろう。 繰り返される貧しい農家の娘の動作が、延々と描かれる、右手が動かない父の衣服の着脱を手伝う娘の行為をずっと追うカメラ。朝起きてから、長い野良着を身に着け、顔を洗い、バケツを二個下げて家の少し先にある井戸まで水を汲みに行く。二つのバケツに等分に井戸から水をくみ上げ、それを下げて家に戻る。その間ずっと強風は音を立てて吹き荒れ、娘の髪は舞い上がる木の葉と土埃で顔を覆ってしまう。このプロセスがおそらく10分以上かかるが、延々と映し出されるのだ。 暖炉兼かまどの上に置かれた鍋にはじゃがいもが二個入っている。毎食、父と娘はゆであがったじゃがいもを一個、塩とともに素手で食べる。 彼らの繰り返される日常動作は様式化されており、いつのまにか観客はそれをおぼえてしまうほどだ。 これらの反復を長く長く観ることで、なにかがリアルになる。日常生活の行為の積み重ねから意味を消去していくことで、選択と決定、意味と目的といった言葉に汚染されているドラマのリアルさとは異なるリアルが浮上してくるような気がする。 いつまでたってもやまない強風によって、それでも少しずつなにかが失われていく。娘がいつもどおりに朝起きて井戸に水を汲みに行くと、水は涸れてしまっている。二人は街に逃げようと家財道具を木車に積み、馬を引きながら丘を越えて、あの樹のむこうに広がる街に行こうとするが、また戻ってくる。画面の左から右へと徐々に小さくなる二人と馬の姿が樹の向こうに消えたかと思うと、数秒後再び樹の根本あたりから二人の姿がまるで日の出の太陽が少しずつ昇ってくるように現れる。 この長回しは美しくもあり、希望への脱出が絶望へと転換する残酷さにも満ちている。町が壊滅していたことが、観客たち暗示されているからだ。 水もなく風もやまない、しかし逃げる場所もない。 一冊の聖書をたどたどしく読む娘の声がランプの光に浮かび上がる。そしてランプの油も切れ、暗黒が訪れる。 主演女優は、彼女がかつて養護施設入所中にTBが発見した少女だった。「倫敦から来た男」にも出演しているが、今では二児の母になっている。 彼女は不思議な女優である。哀しみとあきらめが顔面に張り付いているような表情をしている。彼女が全身からかもしだす雰囲気を、直観的に見抜いて抜擢したのだろう。 生きていくために必要なものがひとつずつ失われていくプロセスを、登場人物たちの没主体的で反復的な生活をとおして描き切った作品は、最後には光もなくなった食卓で、生のままのじゃがいもを前に沈黙のまま座っている彫像のような父と娘の長回しで終わる。 ニーチェらしき人が外部から訪れるが、その言葉は原発事故の暗喩めいている。 震度７の予報下に生きている私たち、水と空気の安全を失った私たち。変わったようで何も変わらないでいる今。 たしかにじゃがいもより豊かな食事はできているが、実はあの父と娘の置かれた状況とあまりに似通った状況を生きているのではないだろうか。枯葉と土埃の舞うあの映画の世界は、今の東京なのかもしれない。...</summary>
    <author>
      <name>sayoko</name>
      
      <email>ugp35311@nifty.com</email>
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    <dc:subject>映画</dc:subject>
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      <![CDATA[<p>本日は最新技術を使った検査のため午前中拘束。<br />
いつも医療機関に行くと、偉業をなし遂げたような満足感が湧いてきて、ついつい昼食を奮発し午後は楽しいことをするのが常。時にはけっこう買い物をしてしまったり・・・（嗚呼、ダメな私）。</p>

<p>本日はイメージフォーラムにて「ニーチェの馬」（タル・ベーラ監督、2011）を観る。<br />
驚いたのはほぼ満席だったことだ。それもどう見ても定年退職後の団塊男性軍団が席巻しているのだ。タル・ベーラ監督（T.B)が人生最後の作品と大見得を切ったからなのか、それとも若いころにニーチェに心酔した経験からか。全国各地で良質なミニシアターが閉鎖されていくが、大量に放出された第二の人生満喫組である彼らがせっせと足を運べば、なんとか経営が維持されるのではないかと思った。団塊の女性たちは、すでに着地点を見つけているのだから大丈夫だろう。</p>

<p>一昨年だったか、同じ映画館でT.Bの「倫敦から来た男」を見て衝撃を受けたので、今回はなんとか見なければと思っていた。<br />
予想にたがわずすごい映画だった。以後、ネタバレご容赦。<br />
いつも観終わってからひととおり自分なりの感想をまとめてからパンフを読むのだが、この映画を観てたぶんそうじゃないかな～と想像していたことが、ずばり当たっていたことはうれしかった。</p>

<p>登場人物(父と娘）の住む家は、土手沿いの道からくねくねと坂を下ったところに建てられている質素な石づくりの農家である。そこの窓から臨むと、小高い道の向こうは一面の空である。そして正面に枝ぶりのいい一本の樹がふきすさぶ風に枝をしならせて立っている。<br />
「たぶんこの樹を気に入って、撮影場所を決めたんだろう」と私は直観したのだ。そして監督の言葉はそのことを裏付けていた。なんでもロケ地を探しているとき、一本のその樹が気に入り、そこを起点にして農家と馬小屋を建てたのだという。</p>

<p>沈痛な音楽が要所要所に流れ、旋律は一種類しかない。それはヤナーチェクのようでもあり、ジプシー音楽のようでもある。一幅の絵画のようなモノクロ画面、映画の最初から最後までずっと吹きすさんでいる乾燥した風、巻き上がる木の葉と土埃。会話のない画面。<br />
聖書にあるように6日間のできごとが描かれるのだが、まるであの映画の世界と今の日本とが重なって見えたのは、おそらく3.11の震災と原発事故の影響が大きいだろう。<br />
T.Bは脅威の長回し画面で有名だが、今回も出てくるわ出てくるわ、冒頭からカメラが追い続けて途切れないシーンの連続である。日常生活のどこにもドラマがないように、そこには意味も情緒も不在のままだ。カットの数はおそろしく少なく、そのことに焦りながら観客はまるで自分が監督になったような気分になる。</p>

<p>それにしてもTBの何が私を引き付けるのだろう。単にフィルムの長回しだけであれば、他にも何人も監督はいる。<br />
強烈な違和感(要は意味不）を起こさせる場面展開、安易な解釈を固く拒むモノクロの画面が、パラドクシカルに観る者を惹きつけていくのは、「どう解釈するのか、おまえは」「どうだ、こんな長い沈黙に耐えられないだろう」というTBからの挑戦を感じるからだ。アンチハリウッドの強固な姿勢がそこに貫かれている。<br />
座していればスクリーン上にはエンタテイメントが繰り広げられ、笑いと涙で満足できるという映画も大好きだ。しかしそれだけが映画ではない。<br />
観るものの姿勢、解釈力を喚起し、こちらを査定するかのようなTBの意図に対して、受けて立とうじゃないかと、勇気が奮い立つのだ。ダルデンヌ兄弟の映画も少しそれに似ているが（長回しが多いし）、彼らの作品にはもう少しドラマ性があり、社会性がある。TBの作品からは物語性が極力そぎ落とされているため、よけいに観客の物語構成欲求が立ち上がるという効果もあるだろう。</p>

<p>繰り返される貧しい農家の娘の動作が、延々と描かれる、右手が動かない父の衣服の着脱を手伝う娘の行為をずっと追うカメラ。朝起きてから、長い野良着を身に着け、顔を洗い、バケツを二個下げて家の少し先にある井戸まで水を汲みに行く。二つのバケツに等分に井戸から水をくみ上げ、それを下げて家に戻る。その間ずっと強風は音を立てて吹き荒れ、娘の髪は舞い上がる木の葉と土埃で顔を覆ってしまう。このプロセスがおそらく10分以上かかるが、延々と映し出されるのだ。</p>

<p>暖炉兼かまどの上に置かれた鍋にはじゃがいもが二個入っている。毎食、父と娘はゆであがったじゃがいもを一個、塩とともに素手で食べる。<br />
彼らの繰り返される日常動作は様式化されており、いつのまにか観客はそれをおぼえてしまうほどだ。<br />
これらの反復を長く長く観ることで、なにかがリアルになる。日常生活の行為の積み重ねから意味を消去していくことで、選択と決定、意味と目的といった言葉に汚染されているドラマのリアルさとは異なるリアルが浮上してくるような気がする。</p>

<p>いつまでたってもやまない強風によって、それでも少しずつなにかが失われていく。娘がいつもどおりに朝起きて井戸に水を汲みに行くと、水は涸れてしまっている。二人は街に逃げようと家財道具を木車に積み、馬を引きながら丘を越えて、あの樹のむこうに広がる街に行こうとするが、また戻ってくる。画面の左から右へと徐々に小さくなる二人と馬の姿が樹の向こうに消えたかと思うと、数秒後再び樹の根本あたりから二人の姿がまるで日の出の太陽が少しずつ昇ってくるように現れる。<br />
この長回しは美しくもあり、希望への脱出が絶望へと転換する残酷さにも満ちている。町が壊滅していたことが、観客たち暗示されているからだ。<br />
水もなく風もやまない、しかし逃げる場所もない。<br />
一冊の聖書をたどたどしく読む娘の声がランプの光に浮かび上がる。そしてランプの油も切れ、暗黒が訪れる。</p>

<p>主演女優は、彼女がかつて養護施設入所中にTBが発見した少女だった。「倫敦から来た男」にも出演しているが、今では二児の母になっている。<br />
彼女は不思議な女優である。哀しみとあきらめが顔面に張り付いているような表情をしている。彼女が全身からかもしだす雰囲気を、直観的に見抜いて抜擢したのだろう。</p>

<p>生きていくために必要なものがひとつずつ失われていくプロセスを、登場人物たちの没主体的で反復的な生活をとおして描き切った作品は、最後には光もなくなった食卓で、生のままのじゃがいもを前に沈黙のまま座っている彫像のような父と娘の長回しで終わる。</p>

<p>ニーチェらしき人が外部から訪れるが、その言葉は原発事故の暗喩めいている。<br />
震度７の予報下に生きている私たち、水と空気の安全を失った私たち。変わったようで何も変わらないでいる今。<br />
たしかにじゃがいもより豊かな食事はできているが、実はあの父と娘の置かれた状況とあまりに似通った状況を生きているのではないだろうか。枯葉と土埃の舞うあの映画の世界は、今の東京なのかもしれない。</p>]]>
      
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    <title>今週末は蕨市、その後朝日カルチャー新宿、来週末は豊中市</title>
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    <modified>2012-02-20T16:54:21Z</modified>
    <issued>2012-02-21T01:54:21+09:00</issued>
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    <created>2012-02-20T16:54:21Z</created>
    <summary type="text/plain">欧州が「殺人的」寒波に襲われ、日本でも記録的豪雪の日々が続く。 東京もいっときの寒さを通り過ぎたため心なしか春めいて感じるが、たぶん昨年や一昨年と比べるとまだまだ厳しい寒さの毎日である。 ついついツイッターでつぶやくためにブログの更新回数が減ってしまい申し訳ないと思っている。 さて、今日発売のAERA、表紙はかの日本画家「松井冬子」さん！天は二物を与えてしまったと思わされる美しさである。紅白歌合戦審査員のときなど、周囲の女優さんがかすんで見えてしまたのは私だけ？？ その表紙を繰って真ん中あたりに私のインタビュー記事が載っているので読んでみてください。この後、婦人公論にも作家村山由佳さんとの対談が出る予定。いずれもテーマは「母娘」である。 3月11日のアニバーサリーを迎え、被災地でもマスメディアもさまざまな計画建てているようだ。私は残念ながら日曜出勤なので、原宿の職場でひとりで犠牲者のご冥福を祈るつもりだ。 被災地でのDV相談件数の増大、アルコール依存症者の増加、などはすでに顕著になっている。そのことと、今ここで母と娘のどうしようもなく苦しい関係が顕在化していることは偶然ではないだろう。 今週の土曜日は埼玉県蕨市にてイダヒロユキさんとパネルディスカッションの予定。ごいっしょしたことがないので、どんな展開になるか楽しみだ。 また、来週木曜日3月1日6時半から新宿朝日カルチャーセンターにて「それでも、家族はつづく」というタイトルの本が出版されるので、予告も兼ねた講演予定。 4月出版予定同名の新刊書の宣伝も兼ねている。まだ席が空いているようなので、よろしければお申し込みください。 来週の土曜日3月3日は、大阪府の豊中市にて講演予定。 いずれも書籍を売る予定になっている（アサカルはまだむり）のでお楽しみにしてください。サインします。 毎年2月3月は講演予定が多いけど（いや、少ないときはなかったかも）、平均月五回の講演をこなしている。今やっと連載原稿から解放されたけれど、こまごま原稿が残っている。 DVDも日本見たし、「ガラスの動物園」（テネシーウイリアムズ）を読んだ。Bumkamura公演のパンフにインタビューコメントが掲載される。 そのため、なんと、瑛太・深津絵里主演の舞台の招待券をもらうことになった。 狂気の母は芸術になり、常識で固められた母はホラーになる・・・なんてすばらしいコピーだろう！ 蕨市も豊中しも、HP上に案内が書いてあるのでどうかごらんになってください。 お近くの方たちの来場をお待ちしています。...</summary>
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      <name>sayoko</name>
      
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    <dc:subject>講演</dc:subject>
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      <![CDATA[<p>欧州が「殺人的」寒波に襲われ、日本でも記録的豪雪の日々が続く。<br />
東京もいっときの寒さを通り過ぎたため心なしか春めいて感じるが、たぶん昨年や一昨年と比べるとまだまだ厳しい寒さの毎日である。<br />
ついついツイッターでつぶやくためにブログの更新回数が減ってしまい申し訳ないと思っている。<br />
さて、今日発売のAERA、表紙はかの日本画家「松井冬子」さん！天は二物を与えてしまったと思わされる美しさである。紅白歌合戦審査員のときなど、周囲の女優さんがかすんで見えてしまたのは私だけ？？<br />
その表紙を繰って真ん中あたりに私のインタビュー記事が載っているので読んでみてください。この後、婦人公論にも作家村山由佳さんとの対談が出る予定。いずれもテーマは「母娘」である。</p>

<p>3月11日のアニバーサリーを迎え、被災地でもマスメディアもさまざまな計画建てているようだ。私は残念ながら日曜出勤なので、原宿の職場でひとりで犠牲者のご冥福を祈るつもりだ。<br />
被災地でのDV相談件数の増大、アルコール依存症者の増加、などはすでに顕著になっている。そのことと、今ここで母と娘のどうしようもなく苦しい関係が顕在化していることは偶然ではないだろう。</p>

<p>今週の土曜日は埼玉県蕨市にてイダヒロユキさんとパネルディスカッションの予定。ごいっしょしたことがないので、どんな展開になるか楽しみだ。<br />
また、来週木曜日3月1日6時半から新宿朝日カルチャーセンターにて「それでも、家族はつづく」というタイトルの本が出版されるので、予告も兼ねた講演予定。<br />
4月出版予定同名の新刊書の宣伝も兼ねている。まだ席が空いているようなので、よろしければお申し込みください。</p>

<p>来週の土曜日3月3日は、大阪府の豊中市にて講演予定。<br />
いずれも書籍を売る予定になっている（アサカルはまだむり）のでお楽しみにしてください。サインします。<br />
毎年2月3月は講演予定が多いけど（いや、少ないときはなかったかも）、平均月五回の講演をこなしている。今やっと連載原稿から解放されたけれど、こまごま原稿が残っている。<br />
DVDも日本見たし、「ガラスの動物園」（テネシーウイリアムズ）を読んだ。Bumkamura公演のパンフにインタビューコメントが掲載される。<br />
そのため、なんと、瑛太・深津絵里主演の舞台の招待券をもらうことになった。<br />
狂気の母は芸術になり、常識で固められた母はホラーになる・・・なんてすばらしいコピーだろう！</p>

<p>蕨市も豊中しも、HP上に案内が書いてあるのでどうかごらんになってください。<br />
お近くの方たちの来場をお待ちしています。</p>]]>
      
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    <title>「ALWAYS三丁目の夕日‘６４」は喪失の映画である。</title>
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    <modified>2012-02-03T16:03:08Z</modified>
    <issued>2012-02-04T01:03:08+09:00</issued>
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    <created>2012-02-03T16:03:08Z</created>
    <summary type="text/plain">風邪で超体調が悪いためいろいろ不義理を働いてしまった皆様すみません。 薬を飲んでたっぷり眠る、これが回復のための王道だろう。が、私は近場の映画館に出かけ（もちろん着ぶくれ状態で）、エンタテイメント系の映画のロードショーをガラガラの観客席に座って、熱くて甘いココア（自販機で買う）をすすりながら見ることにしている。 というわけでM.I(ミッションインポシブル）にしようか迷ったが、結果的には「ALWAYS三丁目の夕日‘６４」(山崎貴監督）を観た。このシリーズを映画館で見るのは最初だったが、薬のせいかぼんやりした頭だったがすっかり見入ってしまい楽しんだ。心なしか体調も少しよくなったみたいだ。エンタテイメント系の映画で満足する作品は意外と少ない。アバター、タイタニック、スターウォーズとやはりハリウッド系になってしまう。本作品はその点でも評価できる。 場所柄もあるだろうが周囲は高齢者と下校途中の高校生ばかり。途中からは鼻をすする音が聞こえ、感動力満点。そうそう、３Dだったので、画面迫力も満点。東京タワーの尖塔が客席まで突っ込みそうに見えるのだった。 しかし、これは「喪失の映画」である。すべてが失われてしまったことの確認を強いる映画という意味だ。 ノスタルジー、絆再確認の感動巨編などというものではない。1964年、東京オリンピック開催、新幹線開通といった日本の存在を世界に知らしめようとする数々の達成を成し遂げたあのエネルギーは、もうない。 断っておくが、喪失とは、山の頂上に上り詰め、はるか来し方を眺めつつここに至るまでに失われてしまったものへの惜別の情に襲われる、ということを意味しているわけではない。たしかに私たちは山の頂上（それがどこなのか、何を意味するのかは別として）に上り詰めたと思っていた。追いつけ追い越せとひたすら頑張り続けた成果を手にしたと思っていた。 あこがれのヨーロッパに旅すれば、日本企業名を冠した電飾宣伝を目にし「ああ、日本は先進国の仲間入りをした」と深い満足感を得た。 映画でも、堤真一ふんする自動車修理の街工場主が、特別のお祝いにと「ウイスキーをもってこい」というのだ。あのころ、どんな田舎の家にもスコッチウイスキーの瓶が飾ってあったものだ。特別な日にちびちびと飲むことが最高の贅沢だったことを思い出した。 のぼりつめたかどうかわからないうちに、この国は下り坂をゆっくりとたどろうとしている。男女平等政策達成度はおそろしく世界でも低いが、経済力からすれば間違いなく「大国」と呼ばれるほどに到達したことは確かだろう。震災後の日本を見るたびにその感を強くする。 頂きらしきところにいたのだが、ずるずると下っている。下りながらそのことをどうとらえていいのかわからない。その感覚だけが日本社会を覆っている。その不安、あきらめ、困惑の中で、あの64年を見るのだ。 映画の中の中卒の集団就職者たちの置かれた状況は、今の就職難の大学生よりはるかに過酷である。しかし、「全力でしあわせにします」というプロポーズ、「不幸にしたらただじゃおかない」というベタな言葉、そしてしょっちゅう登場する拳骨（今なら虐待だ）。疑いもなく存在した拘束、愛、ロマンチックラブ、そして未来。 すべてが確かで堅固であり、だからこそ生まれる苦しみや葛藤が描かれる。 下り坂をたどりながら、同じ坂道を汗をかきながらのぼっているひとたちの「疑いのなさ」を、映画の画面越しに、私たちははるか遠くにあるもののように見る。そして、それらをすべて失ってしまったことを突きつけられるのだ。 たしかに感動的であり、寅さんシリーズに見られるようなお約束事に満ちた良質の映画だ。何より出演者が豪華であり、それぞれの持ち味が生かされてひとつの交響曲のようなふくらみを感じる。 しかし、私に残されたのは深い喪失感だった。 首都直下型地震の不安、放射能、そして日本経済の低迷。ひそかに首都圏を脱出したひともいる中で、映画の最終場面は、だからこそこの上なく輝いている。 荒川の土手から東京タワーの向こうに沈む夕日を見る堤真一と薬師丸夫妻、吉岡隆秀と小雪夫妻が夕日町の商店街越しに見る夕日。それらの瞳に宿る「希望」の片りんを私たちが取り戻す時は来るのだろうか。 最高気温が5度を下回る立春（節分）の夜、映画を観ながら流した涙の跡と、胸に突き刺さったかすかな喪失の痛みを抱えながら帰途についた。 少し体調がよくなったのは、久々に感動できる映画に出会えたせいだろうか。...</summary>
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      <name>sayoko</name>
      
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      <![CDATA[<p>風邪で超体調が悪いためいろいろ不義理を働いてしまった皆様すみません。</p>

<p>薬を飲んでたっぷり眠る、これが回復のための王道だろう。が、私は近場の映画館に出かけ（もちろん着ぶくれ状態で）、エンタテイメント系の映画のロードショーをガラガラの観客席に座って、熱くて甘いココア（自販機で買う）をすすりながら見ることにしている。<br />
というわけでM.I(ミッションインポシブル）にしようか迷ったが、結果的には「ALWAYS三丁目の夕日‘６４」(山崎貴監督）を観た。このシリーズを映画館で見るのは最初だったが、薬のせいかぼんやりした頭だったがすっかり見入ってしまい楽しんだ。心なしか体調も少しよくなったみたいだ。エンタテイメント系の映画で満足する作品は意外と少ない。アバター、タイタニック、スターウォーズとやはりハリウッド系になってしまう。本作品はその点でも評価できる。</p>

<p>場所柄もあるだろうが周囲は高齢者と下校途中の高校生ばかり。途中からは鼻をすする音が聞こえ、感動力満点。そうそう、３Dだったので、画面迫力も満点。東京タワーの尖塔が客席まで突っ込みそうに見えるのだった。</p>

<p>しかし、これは「喪失の映画」である。すべてが失われてしまったことの確認を強いる映画という意味だ。<br />
ノスタルジー、絆再確認の感動巨編などというものではない。1964年、東京オリンピック開催、新幹線開通といった日本の存在を世界に知らしめようとする数々の達成を成し遂げたあのエネルギーは、もうない。<br />
断っておくが、喪失とは、山の頂上に上り詰め、はるか来し方を眺めつつここに至るまでに失われてしまったものへの惜別の情に襲われる、ということを意味しているわけではない。たしかに私たちは山の頂上（それがどこなのか、何を意味するのかは別として）に上り詰めたと思っていた。追いつけ追い越せとひたすら頑張り続けた成果を手にしたと思っていた。<br />
あこがれのヨーロッパに旅すれば、日本企業名を冠した電飾宣伝を目にし「ああ、日本は先進国の仲間入りをした」と深い満足感を得た。<br />
映画でも、堤真一ふんする自動車修理の街工場主が、特別のお祝いにと「ウイスキーをもってこい」というのだ。あのころ、どんな田舎の家にもスコッチウイスキーの瓶が飾ってあったものだ。特別な日にちびちびと飲むことが最高の贅沢だったことを思い出した。</p>

<p>のぼりつめたかどうかわからないうちに、この国は下り坂をゆっくりとたどろうとしている。男女平等政策達成度はおそろしく世界でも低いが、経済力からすれば間違いなく「大国」と呼ばれるほどに到達したことは確かだろう。震災後の日本を見るたびにその感を強くする。<br />
頂きらしきところにいたのだが、ずるずると下っている。下りながらそのことをどうとらえていいのかわからない。その感覚だけが日本社会を覆っている。その不安、あきらめ、困惑の中で、あの64年を見るのだ。<br />
映画の中の中卒の集団就職者たちの置かれた状況は、今の就職難の大学生よりはるかに過酷である。しかし、「全力でしあわせにします」というプロポーズ、「不幸にしたらただじゃおかない」というベタな言葉、そしてしょっちゅう登場する拳骨（今なら虐待だ）。疑いもなく存在した拘束、愛、ロマンチックラブ、そして未来。<br />
すべてが確かで堅固であり、だからこそ生まれる苦しみや葛藤が描かれる。<br />
下り坂をたどりながら、同じ坂道を汗をかきながらのぼっているひとたちの「疑いのなさ」を、映画の画面越しに、私たちははるか遠くにあるもののように見る。そして、それらをすべて失ってしまったことを突きつけられるのだ。<br />
たしかに感動的であり、寅さんシリーズに見られるようなお約束事に満ちた良質の映画だ。何より出演者が豪華であり、それぞれの持ち味が生かされてひとつの交響曲のようなふくらみを感じる。<br />
しかし、私に残されたのは深い喪失感だった。<br />
首都直下型地震の不安、放射能、そして日本経済の低迷。ひそかに首都圏を脱出したひともいる中で、映画の最終場面は、だからこそこの上なく輝いている。<br />
荒川の土手から東京タワーの向こうに沈む夕日を見る堤真一と薬師丸夫妻、吉岡隆秀と小雪夫妻が夕日町の商店街越しに見る夕日。それらの瞳に宿る「希望」の片りんを私たちが取り戻す時は来るのだろうか。</p>

<p>最高気温が5度を下回る立春（節分）の夜、映画を観ながら流した涙の跡と、胸に突き刺さったかすかな喪失の痛みを抱えながら帰途についた。<br />
少し体調がよくなったのは、久々に感動できる映画に出会えたせいだろうか。</p>]]>
      
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    <title>長期予報どおりの厳冬</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hcc-web.co.jp/blog/archives/000884.html" />
    <modified>2012-01-25T18:14:20Z</modified>
    <issued>2012-01-26T03:14:20+09:00</issued>
    <id>tag:www.hcc-web.co.jp,2012:/blog//2.884</id>
    <created>2012-01-25T18:14:20Z</created>
    <summary type="text/plain">いやあ、ほんとうにさぼってしまいました。更新を期待して訪れてくださっていたみなさん、すみませんでした。 理由はとにかく寒いから、頭が回らないので、だらだらお気に入りの某ブログに入りびたり、２チャンにも顔出したりしていたせいでしょう。溜まった原稿も書きあげたと思っていたら、もう次の原稿締切が過ぎていることに気づくという自転車操業状態は相変わらずです。 幸い風邪を引かないでいられるのは、ひとえに厚着のせいだ。とにかくヒートテックを重ね着し、バンバン暖房と床暖房を入れて「省エネ」からほど遠い生活に徹している。 それに根を詰めて夜明けの三時まで起きている生活から足を洗おうと努力しているせいかも。ひと呼んで「三時のあなた」（古っ！）状態が続いていた。さすがに夜明けまでっていうのはないけど、四時くらいに寝付く生活を〇〇歳になっても続けるというのは自殺行為だと思うようになった。 昨年読売新聞の女性記者から話を聞いて「ええっ、本邦初の調査じゃないの？」と思っていた報告書を送ってもらった。 「性的虐待経験者が性産業で働く理由とその実態調査」である。北九州のNPO法人「女性ヘルプネットワーク」（代表野口真理子さん）が発行したものである。 誰もがありうると思っていながら、実証的調査をしてこなかった。それを実施しまとめたのだからすごい。今一生懸命読んでいるところだが、女性がインタビューしているところが重要だ。 いろいろな研究者(多くは男性）が風俗など性産業従事者をインタビューしてまとめたものがあるが、客の延長上としてとらえられているのと、同性のインタビュワーとは違ってくるだろう。 そういう研究もあっていいと思う。つまり彼女たちは、相手によってけっこう話す内容を選んでいるような気がするからだ。 「AV女優」永沢光雄(文春文庫、１９９９）も良書だった。彼は２００６に亡くなったけれど。 今回の報告書は純然たる調査で、ファイザー製薬の助成金を得て作成されたものだ。 今週の土曜日は広島でOCDの会(OCD=強迫性障害）の第８回市民フォーラムで講演、その後原井先生と対談の予定。なんとか雪は降らないようだが、広島まで飛行機で往復というのはなかなかきつい。私は現場の人間だと思っているが、どうにも「技法」「方法論」には興味がもてないところがある。技術というものに対して傲慢なのかもしれないと思うが。 こころのどこかに、基本的考え・根拠の言語化さえあれば、方法なんてどれだけでも導き出されるという考えがあるのだろう。 技法＝伝達可能な知であるならば、私は伝達にそれほど情熱をもっていないということか。むしろセリフ作成、そのとおりに語ってもらうという方法論をとっているのかもしれない。 「あなたの悩みにお答えしましょう」（「一冊の本」朝日新聞出版）の連載もあと一回で終了となるが、そこでもしばしば私は「このような言葉づかいで伝えてみましょう」といった提案をしている。 また時には「形から入りましょう」「身振りから変えましょう」といった提案もしている。一見支離滅裂みたいだけれど、カウンセリングの現場では全部が調和を保っている。 当日どんな話になるか見ものだが、私にとってOCDは専門ではないという自覚があるので、勉強するつもりで出かけて行こう。 昨年末、長期予報は「この冬は寒さが厳しい」と伝えていた。いつもそういいながら、な～んだやっぱり暖冬じゃん、地球温暖化の勢いは止まらない、と慨嘆するのが常だったけど、今年はそうではない。 とにかく寒いのだ、おまけにまだ１月！これから寒さの本番だというのに。 インフルエンザも蔓延している。なんとか今年の冬も乗り切りたい。...</summary>
    <author>
      <name>sayoko</name>
      
      <email>ugp35311@nifty.com</email>
    </author>
    <dc:subject>日常雑感</dc:subject>
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      <![CDATA[<p>いやあ、ほんとうにさぼってしまいました。更新を期待して訪れてくださっていたみなさん、すみませんでした。<br />
理由はとにかく寒いから、頭が回らないので、だらだらお気に入りの某ブログに入りびたり、２チャンにも顔出したりしていたせいでしょう。溜まった原稿も書きあげたと思っていたら、もう次の原稿締切が過ぎていることに気づくという自転車操業状態は相変わらずです。</p>

<p>幸い風邪を引かないでいられるのは、ひとえに厚着のせいだ。とにかくヒートテックを重ね着し、バンバン暖房と床暖房を入れて「省エネ」からほど遠い生活に徹している。<br />
それに根を詰めて夜明けの三時まで起きている生活から足を洗おうと努力しているせいかも。ひと呼んで「三時のあなた」（古っ！）状態が続いていた。さすがに夜明けまでっていうのはないけど、四時くらいに寝付く生活を〇〇歳になっても続けるというのは自殺行為だと思うようになった。</p>

<p>昨年読売新聞の女性記者から話を聞いて「ええっ、本邦初の調査じゃないの？」と思っていた報告書を送ってもらった。<br />
「性的虐待経験者が性産業で働く理由とその実態調査」である。北九州のNPO法人「女性ヘルプネットワーク」（代表野口真理子さん）が発行したものである。<br />
誰もがありうると思っていながら、実証的調査をしてこなかった。それを実施しまとめたのだからすごい。今一生懸命読んでいるところだが、女性がインタビューしているところが重要だ。<br />
いろいろな研究者(多くは男性）が風俗など性産業従事者をインタビューしてまとめたものがあるが、客の延長上としてとらえられているのと、同性のインタビュワーとは違ってくるだろう。<br />
そういう研究もあっていいと思う。つまり彼女たちは、相手によってけっこう話す内容を選んでいるような気がするからだ。<br />
「AV女優」永沢光雄(文春文庫、１９９９）も良書だった。彼は２００６に亡くなったけれど。<br />
今回の報告書は純然たる調査で、ファイザー製薬の助成金を得て作成されたものだ。</p>

<p>今週の土曜日は広島でOCDの会(OCD=強迫性障害）の第８回市民フォーラムで講演、その後原井先生と対談の予定。なんとか雪は降らないようだが、広島まで飛行機で往復というのはなかなかきつい。私は現場の人間だと思っているが、どうにも「技法」「方法論」には興味がもてないところがある。技術というものに対して傲慢なのかもしれないと思うが。<br />
こころのどこかに、基本的考え・根拠の言語化さえあれば、方法なんてどれだけでも導き出されるという考えがあるのだろう。<br />
技法＝伝達可能な知であるならば、私は伝達にそれほど情熱をもっていないということか。むしろセリフ作成、そのとおりに語ってもらうという方法論をとっているのかもしれない。<br />
「あなたの悩みにお答えしましょう」（「一冊の本」朝日新聞出版）の連載もあと一回で終了となるが、そこでもしばしば私は「このような言葉づかいで伝えてみましょう」といった提案をしている。</p>

<p>また時には「形から入りましょう」「身振りから変えましょう」といった提案もしている。一見支離滅裂みたいだけれど、カウンセリングの現場では全部が調和を保っている。<br />
当日どんな話になるか見ものだが、私にとってOCDは専門ではないという自覚があるので、勉強するつもりで出かけて行こう。</p>

<p>昨年末、長期予報は「この冬は寒さが厳しい」と伝えていた。いつもそういいながら、な～んだやっぱり暖冬じゃん、地球温暖化の勢いは止まらない、と慨嘆するのが常だったけど、今年はそうではない。<br />
とにかく寒いのだ、おまけにまだ１月！これから寒さの本番だというのに。</p>

<p>インフルエンザも蔓延している。なんとか今年の冬も乗り切りたい。<br />
</p>]]>
      
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    <title>遅ればせながら明けましておめでとうございます。</title>
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    <modified>2012-01-04T12:39:17Z</modified>
    <issued>2012-01-04T21:39:17+09:00</issued>
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    <created>2012-01-04T12:39:17Z</created>
    <summary type="text/plain">今日から仕事開始の方も多いと思いますが、HCCは6日からとなります。 遅ればせながら昨年はお世話になりました。新しい年もよろしくお願いいたします。 大晦日の読売新聞の社説「編集手帳」の一文が心に残った、 ・・・・＜われわれは後ろ向きに未来へ入ってゆく〉。あたかも行く手に背を向けてボートを漕こぐように。・・・・ 詩人のポール・バレリーからの引用である。 続けて・・・人が見ることのできる景色は過去と現在だけである。あの日、あの朝、すぐ後ろに何が待っているか、誰も知らなかった◆忘れたいものと、忘れてはいけないものと、心に重い船荷を載せた今年の航海も、じきに終わる。・・・・ とあった。 今年初のブログであるが、この文章のような気持ちで新年を迎えたことをお伝えしたくて引用させてもらった。それにしてもこのところの読売新聞の社説、なかなか心打つものがある。残念ながら購読していないのだが、ひょっとしてA新聞の社説の上を行くのかも、とすら思う。 この年齢になってから、今年新たな出版企画、執筆予定があることを幸いと思う。 年内に少なくとも3冊の本が出版される予定だ。これから書くというわけでなく、これまで一生懸命書き溜めてきたもの、連載してきたものがまとまるのである。 また書店での企画もあり、忙しくなりそうだ。昨年の手帳・日記を整理しながら、こんなハードな日々を過ごしてきたのだと改めてため息が出る。週休2日などは夢のまた夢、丸一日空いている日が時々あるくらいだった。 しかしそれも幸いと思いたい。なぜなら放っておくと私は果てしなくミーハーの道に邁進してしまうこと間違いないからだ。 昨年の秋からずっと某韓流ドラマにハマり、深夜はネットで検索したりDVDを見たりしてかなり時間を費やしてしまった。あろうことか、遅まきながらJYJと分離後の東方神起にもハマり、紅白はかぶりつき、「Why」などは何度見たことだろう。箱根駅伝では柏原くんにかぶりつき、これまたYoutubeで連続視聴するありさま。 誰に言っても「またか」「あ～あ」とうんざりされることがわかっているので、人前では口にチャックをしている（ブログでカムアウトしたらおじゃんだろう！）。 でも「好きこそものの上手なれ」だから、いずれこのミーハー魂を全開させて結晶化させたいといった欲深なことを考えている。というわけで本当に忙しいのだ。あれもこれも、スポーツ紙も読まなきゃならないし、佑ちゃんを慰めなきゃならないし。 要はもともとアディクティヴな体質を再確認させられたのかもしれない。同時並行的嗜癖対象分散化によって危険を免れてきただけなのだ。コツは我慢せずにあるところまでとことんハマることだ。そうするとうまい具合に抜けることができる。少なくとも私の場合は。 こんなのんきなことを書いていられるのも今のうちだろう。もうすぐ地獄の締切が次々とやってくる。 皆様、本年もよろしくお願いします。...</summary>
    <author>
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    <dc:subject>日常雑感</dc:subject>
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      <![CDATA[<p>今日から仕事開始の方も多いと思いますが、HCCは6日からとなります。<br />
遅ればせながら昨年はお世話になりました。新しい年もよろしくお願いいたします。</p>

<p>大晦日の読売新聞の社説「編集手帳」の一文が心に残った、<br />
・・・・＜われわれは後ろ向きに未来へ入ってゆく〉。あたかも行く手に背を向けてボートを漕こぐように。・・・・<br />
詩人のポール・バレリーからの引用である。<br />
続けて・・・人が見ることのできる景色は過去と現在だけである。あの日、あの朝、すぐ後ろに何が待っているか、誰も知らなかった◆忘れたいものと、忘れてはいけないものと、心に重い船荷を載せた今年の航海も、じきに終わる。・・・・<br />
とあった。<br />
今年初のブログであるが、この文章のような気持ちで新年を迎えたことをお伝えしたくて引用させてもらった。それにしてもこのところの読売新聞の社説、なかなか心打つものがある。残念ながら購読していないのだが、ひょっとしてA新聞の社説の上を行くのかも、とすら思う。</p>

<p>この年齢になってから、今年新たな出版企画、執筆予定があることを幸いと思う。<br />
年内に少なくとも3冊の本が出版される予定だ。これから書くというわけでなく、これまで一生懸命書き溜めてきたもの、連載してきたものがまとまるのである。<br />
また書店での企画もあり、忙しくなりそうだ。昨年の手帳・日記を整理しながら、こんなハードな日々を過ごしてきたのだと改めてため息が出る。週休2日などは夢のまた夢、丸一日空いている日が時々あるくらいだった。<br />
しかしそれも幸いと思いたい。なぜなら放っておくと私は果てしなくミーハーの道に邁進してしまうこと間違いないからだ。</p>

<p>昨年の秋からずっと某韓流ドラマにハマり、深夜はネットで検索したりDVDを見たりしてかなり時間を費やしてしまった。あろうことか、遅まきながらJYJと分離後の東方神起にもハマり、紅白はかぶりつき、「Why」などは何度見たことだろう。箱根駅伝では柏原くんにかぶりつき、これまたYoutubeで連続視聴するありさま。<br />
誰に言っても「またか」「あ～あ」とうんざりされることがわかっているので、人前では口にチャックをしている（ブログでカムアウトしたらおじゃんだろう！）。<br />
でも「好きこそものの上手なれ」だから、いずれこのミーハー魂を全開させて結晶化させたいといった欲深なことを考えている。というわけで本当に忙しいのだ。あれもこれも、スポーツ紙も読まなきゃならないし、佑ちゃんを慰めなきゃならないし。<br />
要はもともとアディクティヴな体質を再確認させられたのかもしれない。同時並行的嗜癖対象分散化によって危険を免れてきただけなのだ。コツは我慢せずにあるところまでとことんハマることだ。そうするとうまい具合に抜けることができる。少なくとも私の場合は。</p>

<p>こんなのんきなことを書いていられるのも今のうちだろう。もうすぐ地獄の締切が次々とやってくる。<br />
皆様、本年もよろしくお願いします。</p>]]>
      
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    <title>「よいお年をお迎えください」という季節になった。</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hcc-web.co.jp/blog/archives/000882.html" />
    <modified>2011-12-16T17:40:44Z</modified>
    <issued>2011-12-17T02:40:44+09:00</issued>
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    <created>2011-12-16T17:40:44Z</created>
    <summary type="text/plain">今年一番の寒さが到来している。１２月から手袋の登場というのも珍しい。 カウンセリングが終わってクライエントと別れるとき、いつもは「お疲れ様でした、また次回に」などと言っておじぎをするのだが、１２月に入ると今年最後のカウンセリングというクライエントが増える。 「では来年に」などと言って別れるのはあまりに失礼だ。 たいていは「よいお年を」「よいお年をお迎えください」と言ってお別れすることになる。クライエントのほうからも「先生もよいお年を」と声を掛けられ、二秒間くらい目を見つめあう。そして、エレベーターに消えるまで姿を見送るとき、こころから来年がそのひとにとってより良い年になることを祈るのだ。 私とクライエントとの関係は、いつかは終わることになる。それは早いほうがいいに越したことはない。問題が解決する、苦しみが減る、困っていたことがなくなる・・・そして「カウンセリングは卒業してもいいかなって思ったんです」と言えるようになる。 どこかそれはさみしいことではあるが、私の自分勝手な思いである。 「次回の予約はとらないで帰ります」と言われたとき、それは喜ぶべきことなのだ。「べき」ではあるが、正直お別れするのはさみしいことでもある。 今年は「よいお年を」と言いつつ、特別な感慨がある。 正直来年が来るという気がしない。言い換えれば今年が終わる気がしないのだ。 3.11の衝撃をいまだ受け止められないでいる自分に気づき、驚かされる。 「もともとやさぐれていた街ですが、やっとこのごろ街がやさぐれて、荒んできたので安心してるんです。もともとそういう街だったんです。マスコミのひとたちもいなくなったし・・・」 そう言ったひとがいる。 「震災の直後、街のひとはみんないい人になってしまって怖かったんです。死に直面するとみんないい人になっちゃいますから」・・・・・・ 災害のあと、生き残った家族の会話は限られた話題しかあつかえない。亡くなった子供、夫のことはタブーになる。危険なテーマをよけて日常会話をするうちに、だんだん話題は限られてくる。 タブー、地雷が家族のいたるところによこたわっている。時が止まるという表現があるが、正確ではないだろう。衝撃の痕跡に触れることもできず、なすすべもなく放置しているだけなのだ。 3月11日のままのカレンダーの前で、家族がカップめんをすすりながらなでしこジャパンの澤選手の話をしている光景・ 時間が複層的に過ぎていく。それに伴い、トラウマティックで不可触な話題をタブーとした会話と、その裏側で繰り返し語られなければならないあの時の記憶の乖離が生まれる。 やはり今年は終わらないような気がしてならない。 そう言いつつも、街はクリスマス一色になりつつあり、それが終わると門松が飾られるだろう。皆既日食も見られたし、忘年会も滞りなくこなしている。 しかし終わることなく続いていることはある。...</summary>
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      <email>ugp35311@nifty.com</email>
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    <dc:subject>地震</dc:subject>
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      <![CDATA[<p>今年一番の寒さが到来している。１２月から手袋の登場というのも珍しい。<br />
カウンセリングが終わってクライエントと別れるとき、いつもは「お疲れ様でした、また次回に」などと言っておじぎをするのだが、１２月に入ると今年最後のカウンセリングというクライエントが増える。<br />
「では来年に」などと言って別れるのはあまりに失礼だ。<br />
たいていは「よいお年を」「よいお年をお迎えください」と言ってお別れすることになる。クライエントのほうからも「先生もよいお年を」と声を掛けられ、二秒間くらい目を見つめあう。そして、エレベーターに消えるまで姿を見送るとき、こころから来年がそのひとにとってより良い年になることを祈るのだ。</p>

<p>私とクライエントとの関係は、いつかは終わることになる。それは早いほうがいいに越したことはない。問題が解決する、苦しみが減る、困っていたことがなくなる・・・そして「カウンセリングは卒業してもいいかなって思ったんです」と言えるようになる。<br />
どこかそれはさみしいことではあるが、私の自分勝手な思いである。<br />
「次回の予約はとらないで帰ります」と言われたとき、それは喜ぶべきことなのだ。「べき」ではあるが、正直お別れするのはさみしいことでもある。</p>

<p>今年は「よいお年を」と言いつつ、特別な感慨がある。<br />
正直来年が来るという気がしない。言い換えれば今年が終わる気がしないのだ。<br />
3.11の衝撃をいまだ受け止められないでいる自分に気づき、驚かされる。</p>

<p>「もともとやさぐれていた街ですが、やっとこのごろ街がやさぐれて、荒んできたので安心してるんです。もともとそういう街だったんです。マスコミのひとたちもいなくなったし・・・」<br />
そう言ったひとがいる。<br />
「震災の直後、街のひとはみんないい人になってしまって怖かったんです。死に直面するとみんないい人になっちゃいますから」・・・・・・</p>

<p>災害のあと、生き残った家族の会話は限られた話題しかあつかえない。亡くなった子供、夫のことはタブーになる。危険なテーマをよけて日常会話をするうちに、だんだん話題は限られてくる。<br />
タブー、地雷が家族のいたるところによこたわっている。時が止まるという表現があるが、正確ではないだろう。衝撃の痕跡に触れることもできず、なすすべもなく放置しているだけなのだ。<br />
3月11日のままのカレンダーの前で、家族がカップめんをすすりながらなでしこジャパンの澤選手の話をしている光景・<br />
時間が複層的に過ぎていく。それに伴い、トラウマティックで不可触な話題をタブーとした会話と、その裏側で繰り返し語られなければならないあの時の記憶の乖離が生まれる。</p>

<p>やはり今年は終わらないような気がしてならない。<br />
そう言いつつも、街はクリスマス一色になりつつあり、それが終わると門松が飾られるだろう。皆既日食も見られたし、忘年会も滞りなくこなしている。<br />
しかし終わることなく続いていることはある。<br />
</p>]]>
      
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    <title>有田講演終了、大分も</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hcc-web.co.jp/blog/archives/000880.html" />
    <modified>2011-11-29T16:02:29Z</modified>
    <issued>2011-11-30T01:02:29+09:00</issued>
    <id>tag:www.hcc-web.co.jp,2011:/blog//2.880</id>
    <created>2011-11-29T16:02:29Z</created>
    <summary type="text/plain">8時20分の飛行機で福岡へ。深く眠りすぎたせいか、機内に大切な本を忘れてしまった。 博多駅から佐世保線で有田まで。これもまた心地よく眠ってしまった。移動の時間を眠るってなんて気持ちがいいんだろう。おかげでPCを持参したにもかかわらず、校正原稿をかばんに入れたにもかかわらず、ず～っと眠っていて何も仕事はできなかった。 有田市は、江戸時代初期朝鮮から渡来した李氏が白い石を発見し、それを細かく砕くことで白磁に似た焼き物をつくることに成功。それが現在の有田焼、古伊万里、波佐見焼などにつながっている。 街には国宝級の陶芸家が何人も住んでおり、旧街道の街並みは保存され、年に一回の市にはのべ何百万もの人が訪れるのだとか。 講演は市のフェスタといっしょに催されたため、DVという言葉も知らないひとたちにもわかるように話した。最初は「本なんか例年売りませんけど」と言われたが、送った本はほぼ全部売り切れてしまった。 サインの際、私も〇年前に夫のDVから逃げたんです、という女性が何人も私にカムアウトされた。 DV防止法制定から10年という節目の年、一般のひとにも共有できる言葉としてこの二文字が広がることを祈っている。それはとりもなおさず、自分の受けた行為を暴力と定義することを意味し、それこそが人権なのだと思う。 まだまだ多くのひとが、「私が悪いからしかたがない」「どこの家でもこれくらいのことはみんな耐えているのだ」と考えているだろうが、どんな理由であろうと殴られていい自分じゃない、と思えることが大切だ。 終了後、市の担当者と佐賀アバンセの方が有田焼の石を掘削した跡などを案内してくださった。 李氏をたたえた石碑が神社より上に建てられていることで、韓国からの旅行者が大勢その石碑を観光に訪れるのだとか。 わずかな時間だったが、いくつかの陶磁器を買い求めて送った。 講演に来ていただいたみなさまありがとうございました。 企画されたアバンセ、市の皆様、お世話になりました。 それにしてもJR九州の電車のデザインはどれもすばらしい。板張りの床、椅子のデザイン、どれをとっても東海道新幹線に慣れている私からは、目をみはるような印象を受ける。もちろん九州新幹線のデザインは秀逸である。 ぐっすり眠りに就く前に窓外から眺めた山や田畑は紅葉が美しく、皇帝ダリアという背の高い花が家々の庭に植えられていた。 おかげで腰痛もひどくならずに、翌日の月曜は大分の講演と研修を済ませ、夜の11時半に帰宅した。 今週の金、土の日本虐待防止学会での講演を最後に、今年の講演日程はすべて終了。 残るは7回ほどの忘年会だけである。 すべてが楽しみである。...</summary>
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      <name>sayoko</name>
      
      <email>ugp35311@nifty.com</email>
    </author>
    <dc:subject>講演</dc:subject>
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      <![CDATA[<p>8時20分の飛行機で福岡へ。深く眠りすぎたせいか、機内に大切な本を忘れてしまった。<br />
博多駅から佐世保線で有田まで。これもまた心地よく眠ってしまった。移動の時間を眠るってなんて気持ちがいいんだろう。おかげでPCを持参したにもかかわらず、校正原稿をかばんに入れたにもかかわらず、ず～っと眠っていて何も仕事はできなかった。<br />
有田市は、江戸時代初期朝鮮から渡来した李氏が白い石を発見し、それを細かく砕くことで白磁に似た焼き物をつくることに成功。それが現在の有田焼、古伊万里、波佐見焼などにつながっている。<br />
街には国宝級の陶芸家が何人も住んでおり、旧街道の街並みは保存され、年に一回の市にはのべ何百万もの人が訪れるのだとか。</p>

<p>講演は市のフェスタといっしょに催されたため、DVという言葉も知らないひとたちにもわかるように話した。最初は「本なんか例年売りませんけど」と言われたが、送った本はほぼ全部売り切れてしまった。<br />
サインの際、私も〇年前に夫のDVから逃げたんです、という女性が何人も私にカムアウトされた。<br />
DV防止法制定から10年という節目の年、一般のひとにも共有できる言葉としてこの二文字が広がることを祈っている。それはとりもなおさず、自分の受けた行為を暴力と定義することを意味し、それこそが人権なのだと思う。<br />
まだまだ多くのひとが、「私が悪いからしかたがない」「どこの家でもこれくらいのことはみんな耐えているのだ」と考えているだろうが、どんな理由であろうと殴られていい自分じゃない、と思えることが大切だ。</p>

<p>終了後、市の担当者と佐賀アバンセの方が有田焼の石を掘削した跡などを案内してくださった。<br />
李氏をたたえた石碑が神社より上に建てられていることで、韓国からの旅行者が大勢その石碑を観光に訪れるのだとか。<br />
わずかな時間だったが、いくつかの陶磁器を買い求めて送った。</p>

<p>講演に来ていただいたみなさまありがとうございました。<br />
企画されたアバンセ、市の皆様、お世話になりました。</p>

<p>それにしてもJR九州の電車のデザインはどれもすばらしい。板張りの床、椅子のデザイン、どれをとっても東海道新幹線に慣れている私からは、目をみはるような印象を受ける。もちろん九州新幹線のデザインは秀逸である。</p>

<p>ぐっすり眠りに就く前に窓外から眺めた山や田畑は紅葉が美しく、皇帝ダリアという背の高い花が家々の庭に植えられていた。<br />
おかげで腰痛もひどくならずに、翌日の月曜は大分の講演と研修を済ませ、夜の11時半に帰宅した。</p>

<p>今週の金、土の日本虐待防止学会での講演を最後に、今年の講演日程はすべて終了。<br />
残るは7回ほどの忘年会だけである。<br />
すべてが楽しみである。</p>]]>
      
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    <title>セショラーって？そして有田市から大分市へと</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hcc-web.co.jp/blog/archives/000879.html" />
    <modified>2011-11-23T18:24:55Z</modified>
    <issued>2011-11-24T03:24:55+09:00</issued>
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    <created>2011-11-23T18:24:55Z</created>
    <summary type="text/plain">今日（23日）は大阪府枚方市で講演。 約90名の方が聞きに来ていただいた。午後は雨も降っていたにもかかわらず、大勢の方に聞いていただけたこと、感謝です。 主催者の皆様にもお礼申し上げます。本もたくさん買っていただき、うれしい限りです。 昨年は神戸でも講演したせいか、おなじみの方もちらほら。それまでは大阪周辺での講演は少なかったのだが、このところ大阪府での講演が増えたせいだろうか。 来年の3月は豊中市でも講演の予定。皆様また聞きに来てください。 今週の月曜から生まれて初めての腰痛を経験し、これは指圧がいいだろうと思い仕事帰りにマッサージをしてもらったのだが逆効果。ますます痛くなり、このままだと講演に行けるだろうかと不安になるほどだった。 思わずツイッターでそのことをつぶやいたら多くの方がアドバイスをしてくれ、とにかくお風呂に入って温まることにした。ぎっくり腰だと温めてはいけないらしいが、私の場合完全に原因がわかっていたため、お風呂に入り、睡眠をとった。 そうしたら昨日はかなりよくなり、講演当日の今日はちゃんとハイヒールを履いてでかけることができた。 講演最中も2時間以上ずっと立ちっぱなしでも大丈夫だった。 原因は、とにかく長時間座ってPCで原稿を書いたことが一番だ。節電のために床暖房も入れず、寒いのをがまんしていたのもよくなかった。 まあ、この年まで腰痛経験がないことが奇跡みたいなものだから、これからはせいぜい気をつけて暖かくし、ストレッチもし、そろそろ水泳も再開しようかな、などと思っている。 さて、今週末は怒涛のスケジュール。 土曜は「摂食障害だよ、全員集合」というNABA主催の催しがある。摂食障害者＝セショラーたちの大会である。 オリンピック青少年センターで、午後1時からの予定。私は基調講演とやらを頼まれているのだ。 その夜は某クリニックのマジックショーに顔出し。親しい精神科医の先生がほぼ毎年開いている楽しい催しだ。 翌朝は8時20分の羽田発の飛行機で福岡へ。午後から佐賀県の有田市で講演。 これもDV防止週間の催しとしてである。博多からJRで約1時間。 そのまま夕方博多に戻り一泊。翌日はそのままJRで大分まででかけ、午後は大分で九州のの婦人保護関係者の集まりにて講演。テーマはDV加害者対応である。 月曜はHCCをお休みすることになる。スタッフの皆様、留守をよろしくね～ そのあいだを縫って依頼されている意見書を二通書かなければならない。意見書というものは、見通しが明るくない場合に必要なのだと聞かされたが、たしかに裁判官や調査官などをどのように説得するかという効果をねらったものになるだろう。 これまで何通かの意見書を書いてきたが、非常に厳しい結果が多い。 日本の裁判所はDVに対してきわめてシビアである。これはカナダもノルウエーも同様らしい。最後まで変わらないのが裁判官だ、と何度も聞かされた。 ともあれ、懸案の二つの連載原稿をいちおう脱稿できたので一安心。腰痛の中原稿を書いているときは「なんて因果な商売だろう」と泣きたくなった。この年になってまで、こんなつらいことを続けなければならないなんて、としばし呪う気分にもなった。 でも、なんとか原稿は書き上げたし、ちょっとだけ、ほんの少しだけいい気分である。 往復の新幹線で「現代思想」上野千鶴子特集を読む。表紙も中の装丁もすばらしい。上品でなおかつシンプルな香気ただよう本にしあがっている。 私も駄文を寄稿しているが、なんとまあ豪華な執筆陣だろう。上野さんの30年以上の疾走するかのごとき活躍が一望のもとにみわたせる本である。 今日の講演のあとで、ひとりのひとが「息子が『パパと怒り鬼』を読んで、ほんとうに感動したと言ってました」と話しかけてくれた。 彼女はHCCのDV被害者のグループカウンセリングにも参加していたひとで、その息子さんがいたく感動したとのことであった。 私はこれまでDV被害者については、自慢じゃないけど日本でも数少ない理解者だと自負してきた。しかし父のDVを目撃して育った息子の抱える困難は、「パパと怒り鬼」にかかわることで初めて知ったような気がする。 彼らは父親をきらいになりたくないのだ。そのことは、フロイト的なエディプスコンプレックスとはまったく異なる次元の話だろう。 父であるひとが唾棄すべき、忌み嫌うべき人であってほしくないのだ。 そのことは一歩間違えば「おやじのことはよくわかる」というホモソーシャル的妥協に連なる危険性もはらんでいる。 しかし、暴力をふるったことは事実だが、そのことが父の全人格を否定するものではないと思えること（それは絵本では主人公の少年の願いでもある）で全肯定でもなく全否定でもない、新たな道が開かれるのだ。 そのことを痛感させられた。 往復の新幹線はなぜかず～っと眠っていた。 行きは名古屋も気づかず、目をさましたら京都駅だった。帰りも同様で、品川で目がさめた。 やはり疲れているのか、それともよほど東海道新幹線との相性がよくて眠りやすかったのか・・・ 腰痛から解放されてよかった！！...</summary>
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      <name>sayoko</name>
      
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      <![CDATA[<p>今日（23日）は大阪府枚方市で講演。<br />
約90名の方が聞きに来ていただいた。午後は雨も降っていたにもかかわらず、大勢の方に聞いていただけたこと、感謝です。<br />
主催者の皆様にもお礼申し上げます。本もたくさん買っていただき、うれしい限りです。<br />
昨年は神戸でも講演したせいか、おなじみの方もちらほら。それまでは大阪周辺での講演は少なかったのだが、このところ大阪府での講演が増えたせいだろうか。<br />
来年の3月は豊中市でも講演の予定。皆様また聞きに来てください。</p>

<p>今週の月曜から生まれて初めての腰痛を経験し、これは指圧がいいだろうと思い仕事帰りにマッサージをしてもらったのだが逆効果。ますます痛くなり、このままだと講演に行けるだろうかと不安になるほどだった。<br />
思わずツイッターでそのことをつぶやいたら多くの方がアドバイスをしてくれ、とにかくお風呂に入って温まることにした。ぎっくり腰だと温めてはいけないらしいが、私の場合完全に原因がわかっていたため、お風呂に入り、睡眠をとった。<br />
そうしたら昨日はかなりよくなり、講演当日の今日はちゃんとハイヒールを履いてでかけることができた。<br />
講演最中も2時間以上ずっと立ちっぱなしでも大丈夫だった。<br />
原因は、とにかく長時間座ってPCで原稿を書いたことが一番だ。節電のために床暖房も入れず、寒いのをがまんしていたのもよくなかった。<br />
まあ、この年まで腰痛経験がないことが奇跡みたいなものだから、これからはせいぜい気をつけて暖かくし、ストレッチもし、そろそろ水泳も再開しようかな、などと思っている。</p>

<p>さて、今週末は怒涛のスケジュール。<br />
土曜は「摂食障害だよ、全員集合」というNABA主催の催しがある。摂食障害者＝セショラーたちの大会である。<br />
オリンピック青少年センターで、午後1時からの予定。私は基調講演とやらを頼まれているのだ。<br />
その夜は某クリニックのマジックショーに顔出し。親しい精神科医の先生がほぼ毎年開いている楽しい催しだ。<br />
翌朝は8時20分の羽田発の飛行機で福岡へ。午後から佐賀県の有田市で講演。<br />
これもDV防止週間の催しとしてである。博多からJRで約1時間。<br />
そのまま夕方博多に戻り一泊。翌日はそのままJRで大分まででかけ、午後は大分で九州のの婦人保護関係者の集まりにて講演。テーマはDV加害者対応である。<br />
月曜はHCCをお休みすることになる。スタッフの皆様、留守をよろしくね～</p>

<p>そのあいだを縫って依頼されている意見書を二通書かなければならない。意見書というものは、見通しが明るくない場合に必要なのだと聞かされたが、たしかに裁判官や調査官などをどのように説得するかという効果をねらったものになるだろう。<br />
これまで何通かの意見書を書いてきたが、非常に厳しい結果が多い。<br />
日本の裁判所はDVに対してきわめてシビアである。これはカナダもノルウエーも同様らしい。最後まで変わらないのが裁判官だ、と何度も聞かされた。</p>

<p>ともあれ、懸案の二つの連載原稿をいちおう脱稿できたので一安心。腰痛の中原稿を書いているときは「なんて因果な商売だろう」と泣きたくなった。この年になってまで、こんなつらいことを続けなければならないなんて、としばし呪う気分にもなった。<br />
でも、なんとか原稿は書き上げたし、ちょっとだけ、ほんの少しだけいい気分である。</p>

<p>往復の新幹線で「現代思想」上野千鶴子特集を読む。表紙も中の装丁もすばらしい。上品でなおかつシンプルな香気ただよう本にしあがっている。<br />
私も駄文を寄稿しているが、なんとまあ豪華な執筆陣だろう。上野さんの30年以上の疾走するかのごとき活躍が一望のもとにみわたせる本である。</p>

<p>今日の講演のあとで、ひとりのひとが「息子が『パパと怒り鬼』を読んで、ほんとうに感動したと言ってました」と話しかけてくれた。<br />
彼女はHCCのDV被害者のグループカウンセリングにも参加していたひとで、その息子さんがいたく感動したとのことであった。<br />
私はこれまでDV被害者については、自慢じゃないけど日本でも数少ない理解者だと自負してきた。しかし父のDVを目撃して育った息子の抱える困難は、「パパと怒り鬼」にかかわることで初めて知ったような気がする。<br />
彼らは父親をきらいになりたくないのだ。そのことは、フロイト的なエディプスコンプレックスとはまったく異なる次元の話だろう。<br />
父であるひとが唾棄すべき、忌み嫌うべき人であってほしくないのだ。<br />
そのことは一歩間違えば「おやじのことはよくわかる」というホモソーシャル的妥協に連なる危険性もはらんでいる。<br />
しかし、暴力をふるったことは事実だが、そのことが父の全人格を否定するものではないと思えること（それは絵本では主人公の少年の願いでもある）で全肯定でもなく全否定でもない、新たな道が開かれるのだ。<br />
そのことを痛感させられた。</p>

<p>往復の新幹線はなぜかず～っと眠っていた。<br />
行きは名古屋も気づかず、目をさましたら京都駅だった。帰りも同様で、品川で目がさめた。<br />
やはり疲れているのか、それともよほど東海道新幹線との相性がよくて眠りやすかったのか・・・</p>

<p>腰痛から解放されてよかった！！</p>]]>
      
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    <title>今週末は品川講演、それからいいことが！</title>
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    <modified>2011-11-15T13:57:16Z</modified>
    <issued>2011-11-15T22:57:16+09:00</issued>
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    <created>2011-11-15T13:57:16Z</created>
    <summary type="text/plain">このところ「いけない」「だめだめ」と思いながら、いつのまにかハマってしまっていることがある。それが何かはヒ・ミ・ツ！ というわけで原稿を書こうとしながらどうしてもそちらのほうに関心が向かい、ただいま締切が過ぎた原稿が二本。ああ、編集者のみなさまごめんなさい。 どうしても睡眠不足になってしまい、そのせいか今日からきわめて体調が悪い。いつもの風邪の予感がする。本当は仕事をすべて休んでゆっくり眠れればいいのだが、明日も明後日も仕事がびっしりである。 それから紀伊国屋書店に「ザ・信田さよ子フェア」を見に行きたいのだけれど、なんだか恥ずかしくてだめなのだ。いったいどんな顔をして見に行けばいいのか、見当もつかない。 がんばって変装してみるか・・・・。 さて「さよなら、お母さん」が出版されてからなんと「母が重くてたまらない」が増刷となった。そして最新刊の「さよなら、お母さん」も重版が決定。 何がうれしいって、自分の本に重版がかかることが最大の喜びなのだ。もちろん本が印刷されて初めて手にとったときのにおいや手触りもこの上なくうっとりするのだが、やはり売れてなんぼっていう感覚がある。 それもすべて私が書店の娘だからかもしれない。 質を落とさず書いて、しかも売れてくれるとしたらこれほどうれしいことがあるだろうか。 自慢じゃないけど、手抜きの本はつくりたくない。読む人が読んだらわかると思っているからだ。 明らかに売らんかなの作り方の本は、いやだと思う。どの本もけっこう最後まで句読点やてにをはに至るまでチェックしてしまうのもそのせいだ。 多くの本が消費されていく時代になった。でも、自分を裏切ることはできない。 というわけで毎回原稿を書くために本当にエネルギーを使うのだ。 だから、ちょっとだけ秘密の楽しみを持つことを許してもらいたいのだ。 今週の土曜日、きゅりあん品川にてシンポジウムに参加します。 お知らせ欄にもアップしてあるが、麻木久仁子さんもいっしょだ。 お近くの皆様、どうか聞きにきてください。 私の著作も売りますよ、サインもね。 来週は西へ。 大阪の枚方市で講演予定。11月はDVや虐待の防止月間なのだ。パープルリボンがそのシンボルである。いずれ東京タワーもパープルにライトアップされる予定。...</summary>
    <author>
      <name>sayoko</name>
      
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      <![CDATA[<p>このところ「いけない」「だめだめ」と思いながら、いつのまにかハマってしまっていることがある。それが何かはヒ・ミ・ツ！<br />
というわけで原稿を書こうとしながらどうしてもそちらのほうに関心が向かい、ただいま締切が過ぎた原稿が二本。ああ、編集者のみなさまごめんなさい。<br />
どうしても睡眠不足になってしまい、そのせいか今日からきわめて体調が悪い。いつもの風邪の予感がする。本当は仕事をすべて休んでゆっくり眠れればいいのだが、明日も明後日も仕事がびっしりである。<br />
それから紀伊国屋書店に「ザ・信田さよ子フェア」を見に行きたいのだけれど、なんだか恥ずかしくてだめなのだ。いったいどんな顔をして見に行けばいいのか、見当もつかない。<br />
がんばって変装してみるか・・・・。</p>

<p>さて「さよなら、お母さん」が出版されてからなんと「母が重くてたまらない」が増刷となった。そして最新刊の「さよなら、お母さん」も重版が決定。<br />
何がうれしいって、自分の本に重版がかかることが最大の喜びなのだ。もちろん本が印刷されて初めて手にとったときのにおいや手触りもこの上なくうっとりするのだが、やはり売れてなんぼっていう感覚がある。<br />
それもすべて私が書店の娘だからかもしれない。<br />
質を落とさず書いて、しかも売れてくれるとしたらこれほどうれしいことがあるだろうか。<br />
自慢じゃないけど、手抜きの本はつくりたくない。読む人が読んだらわかると思っているからだ。<br />
明らかに売らんかなの作り方の本は、いやだと思う。どの本もけっこう最後まで句読点やてにをはに至るまでチェックしてしまうのもそのせいだ。</p>

<p>多くの本が消費されていく時代になった。でも、自分を裏切ることはできない。<br />
というわけで毎回原稿を書くために本当にエネルギーを使うのだ。<br />
だから、ちょっとだけ秘密の楽しみを持つことを許してもらいたいのだ。</p>

<p>今週の土曜日、きゅりあん品川にてシンポジウムに参加します。<br />
お知らせ欄にもアップしてあるが、麻木久仁子さんもいっしょだ。<br />
お近くの皆様、どうか聞きにきてください。<br />
私の著作も売りますよ、サインもね。<br />
来週は西へ。<br />
大阪の枚方市で講演予定。11月はDVや虐待の防止月間なのだ。パープルリボンがそのシンボルである。いずれ東京タワーもパープルにライトアップされる予定。<br />
</p>]]>
      
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    <title>ザ・信田さよ子フェア開催！</title>
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    <modified>2011-11-08T15:53:37Z</modified>
    <issued>2011-11-09T00:53:37+09:00</issued>
    <id>tag:www.hcc-web.co.jp,2011:/blog//2.877</id>
    <created>2011-11-08T15:53:37Z</created>
    <summary type="text/plain">本日（１１月８日）から新宿紀伊国屋書店にてザ・信田さよ子フェアが開催される。 イーストプレスから新たに出版された「増補・ザ・ママの研究」と、春秋社「さよなら、お母さん」を中心に母娘をテーマとしたフェアである。 楽しい仕掛け（プチプチカウンセリング）や、タイプ別のくじ引きみたいなものも用意されている。私の回答もけっこう過激で、ええっこんな答えありなの？とのけぞってしまうような内容になっている。 一度のぞいてみてください。 といいつつ、私はまだ行けていない。どうにも恥ずかしくて顔を出せないのだ。 昨年も同じ場所で開催された「ザ・のぶた祭り」の際も、大勢で行ったものの恥ずかしくて４秒くらいしか見られなかったのだ。 変装して行こうかなぁ、この年で男装もできないし、う～ん。 困った、困った。...</summary>
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      <name>sayoko</name>
      
      <email>ugp35311@nifty.com</email>
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    <dc:subject>著作・解説</dc:subject>
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      <![CDATA[<p>本日（１１月８日）から新宿紀伊国屋書店にてザ・信田さよ子フェアが開催される。<br />
イーストプレスから新たに出版された「増補・ザ・ママの研究」と、春秋社「さよなら、お母さん」を中心に母娘をテーマとしたフェアである。<br />
楽しい仕掛け（プチプチカウンセリング）や、タイプ別のくじ引きみたいなものも用意されている。私の回答もけっこう過激で、ええっこんな答えありなの？とのけぞってしまうような内容になっている。<br />
一度のぞいてみてください。</p>

<p>といいつつ、私はまだ行けていない。どうにも恥ずかしくて顔を出せないのだ。<br />
昨年も同じ場所で開催された「ザ・のぶた祭り」の際も、大勢で行ったものの恥ずかしくて４秒くらいしか見られなかったのだ。<br />
変装して行こうかなぁ、この年で男装もできないし、う～ん。<br />
困った、困った。</p>]]>
      
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