2011年12月17日

「よいお年をお迎えください」という季節になった。

今年一番の寒さが到来している。12月から手袋の登場というのも珍しい。
カウンセリングが終わってクライエントと別れるとき、いつもは「お疲れ様でした、また次回に」などと言っておじぎをするのだが、12月に入ると今年最後のカウンセリングというクライエントが増える。
「では来年に」などと言って別れるのはあまりに失礼だ。
たいていは「よいお年を」「よいお年をお迎えください」と言ってお別れすることになる。クライエントのほうからも「先生もよいお年を」と声を掛けられ、二秒間くらい目を見つめあう。そして、エレベーターに消えるまで姿を見送るとき、こころから来年がそのひとにとってより良い年になることを祈るのだ。

私とクライエントとの関係は、いつかは終わることになる。それは早いほうがいいに越したことはない。問題が解決する、苦しみが減る、困っていたことがなくなる・・・そして「カウンセリングは卒業してもいいかなって思ったんです」と言えるようになる。
どこかそれはさみしいことではあるが、私の自分勝手な思いである。
「次回の予約はとらないで帰ります」と言われたとき、それは喜ぶべきことなのだ。「べき」ではあるが、正直お別れするのはさみしいことでもある。

今年は「よいお年を」と言いつつ、特別な感慨がある。
正直来年が来るという気がしない。言い換えれば今年が終わる気がしないのだ。
3.11の衝撃をいまだ受け止められないでいる自分に気づき、驚かされる。

「もともとやさぐれていた街ですが、やっとこのごろ街がやさぐれて、荒んできたので安心してるんです。もともとそういう街だったんです。マスコミのひとたちもいなくなったし・・・」
そう言ったひとがいる。
「震災の直後、街のひとはみんないい人になってしまって怖かったんです。死に直面するとみんないい人になっちゃいますから」・・・・・・

災害のあと、生き残った家族の会話は限られた話題しかあつかえない。亡くなった子供、夫のことはタブーになる。危険なテーマをよけて日常会話をするうちに、だんだん話題は限られてくる。
タブー、地雷が家族のいたるところによこたわっている。時が止まるという表現があるが、正確ではないだろう。衝撃の痕跡に触れることもできず、なすすべもなく放置しているだけなのだ。
3月11日のままのカレンダーの前で、家族がカップめんをすすりながらなでしこジャパンの澤選手の話をしている光景・
時間が複層的に過ぎていく。それに伴い、トラウマティックで不可触な話題をタブーとした会話と、その裏側で繰り返し語られなければならないあの時の記憶の乖離が生まれる。

やはり今年は終わらないような気がしてならない。
そう言いつつも、街はクリスマス一色になりつつあり、それが終わると門松が飾られるだろう。皆既日食も見られたし、忘年会も滞りなくこなしている。
しかし終わることなく続いていることはある。

投稿者 sayoko: 02:40