2011年06月02日

気がつけば

風邪が治りかけているせいだけでもない。とにかく寒いのだ。
この一週間ず~っとユニクロのフリースを着込み、もちろんユニクロのゆったりパンツと靴下をはいて自衛している。
あっというまに梅雨に入り、最高気温が18度というのは本当に桜の開花以前の気温である。

しかし自慢のランは見事に咲き誇っている。
昨年転居したとき、7鉢ほどのランもいっしょに連れてきた。北側の窓際にずっと置いておいたら、今年のはじめくらいから小さな花芽が成長をはじめ、今は胡蝶蘭が二鉢、濃い紅色のランが一鉢咲いている。
黄色のオンシジウムは冬から咲き始め、もう散ってしまったがこれも以前の住居の倍くらい花がついた。紅色の小さな花が群らがって咲くランは花芽が8本も出て満開になり、もう散ってしまった。
胡蝶蘭のひとつは、HCCのビルの二階に入っている会社が窓辺に放置していたものを頼み込んで譲ってもらったものだ。一輪が巨大な胡蝶蘭だったが、その鉢を袋に入れて後生大事に持ち帰った。
それが今年になって見事に開花し、花の重みに茎が耐えかねるほどになったので支柱を添えた。花びらの裏がほんのりピンクに染まっているもの、いとおかし。なんだかどこかのオフィスの開店祝いのような雰囲気にも思えるほど、ランに囲まれた毎日である。

忙しいため、あまり水やりもせず、乾いたらペットボトルの水をドバっと遣るだけにしていたが、それがよかったのかも。「タフラブ」ってことかと思う。
ただ、毎日必ずその「子」(よく飼い主がペットをこう呼ぶので真似してみる)たちをまじまじとみつめ、枯れた葉を摘んだりするのは欠かさない。
グリーンやランの鉢をじっとみつめていると、頭の中が一瞬空白になり、何よりのストレス解消なのだ。
植物も人間が関心を注ぐとイキイキと育つというが、それはあたっているかもしれない。中井久夫先生も、往診に行ったときはその家のグリーンがどんな状態かをまずチェックすると書いていた。
自慢じゃないが、ポトスなどはもう30年近いし、よほどのことがない限り植物を枯らしたことはない。15センチくらいのパキラが、今では背丈ほど伸びてしまった。
毎年植物を贈ってくださる方がいて、その鉢を大切にしているうちにランがこれほど増えてしまったというわけだ。
今の楽しみは転居の際にいただいたデンドロビウムの3株の寄せ植えが、脇から芽がちょっぴり顔を出していることだ。
先日風邪がひどいので、枯れかけたランの株分けと植え替えをしたのだが、その折に三つの芽を発見した。むしょうにうれしく、きっと窓辺に置いておけば、来年は咲くかもしれないと思っている。

菅政権の不信任案の問題が報道されているが、批判するという行為について考えさせられる。特に原発の問題をめぐって、批判的言説が巷に満ちているが、素直にそうだとなかなか考えられないでいる。
著名な学者の書いたものを読んでも、正直がっかりすることも多い。キーワードは「依存」だ、なんて言われても・・・という感じで。しかしそのことを声高に言うのもはばかれる。
なんだかみんなが批評家になっているようだが、もう食傷気味なのだ。再興という言葉も、復興という言葉にも食傷している。
斎藤美奈子も「ちくま」に書いていたが、言葉の賞味期限切れが起きているのに、それしか手元にないのだと。そんな虚しさすら感じられる「批評的言語の氾濫」に対して、とりあえず私は何を読んだらいいのかと思う。
その結果、超高かったが「『ボランティア』の誕生と終焉」(仁平典宏)をアマゾンで衝動買いして、分厚い本を目の前にしながら読むひまないじゃん、と後悔している。
昨晩連載を一本仕上げ、今週土曜別の連載の第一回目を一気に書き上げるつもり。
来週は某出版社で第一回目の缶詰め。
風邪の年相応のゆっくりとした回復に合わせるように、再び忙しくなった。

投稿者 sayoko: 00:59