2011年04月25日

スカイツリーが少し見えた

土曜日(23日)は江東区のパルシティ江東にて講演。
朝から強い雨が降ったりやんだりする不安定な天候だったが、それでも150人を超える方々が聞きに来てくださった。本当にありがとうございます。

東日本大震災以後やはり話す内容はどうしても「被害」の問題に集約される。私自身が今後についていまだに見通しが持てないでいるので、どうしても明晰さを欠くことになってしまう。
しかしそう思っているのは私だけなのかもしれない。
多くの家族は震災後も以前もそれほど変わりはないのだろう。おそらく仕事も含めて私たちの日常生活は多くの習慣から成り立っており、それは現実の変化(たとえば今回の地震、911のようなできごと)が起きてもすぐに反応するわけではない。
変えることもできないのだ。
放射能の値が計測されたところで、今すぐにどこかに逃げることなどできないのだ。そういった意味で続いているのだと痛感した。

統一地方選挙の結果が出たが、それが如実に表れている。民主退潮、原発支持派の首長の当選などだ。
しかし、変わらず続くのだろうが、その続く速度が加速するのかもしれない。ヘンな言い方だけど、破たんに至る速度が増すといったことだ。
むしろ変化といえば、家族という「個人的」なこと、「小さなこと」にこだわっている自分はダメじゃないかといった価値の浸透になるだろう。実際そう考えることで、震災以前よりずっと元気になった人はいる。
しかし、それで個人的なことや小さなことが解決したわけではない。

このあたりのことはまだもやもやしているのだが、それは単に私個人の問題なのかもしれない。
ただ、確実に影響が出ているのが飲食店だ。レストラン、鮨屋といった外食産業は惨憺たるありさまではないだろうか。魚を食べない人も増えるだろう。イタリアンもその点でフレンチより打撃を受けるだろう。
店じまいするところが増えたような気がする。

終了後、本にサインをする。大勢のひとが買ってくださった。ありがたいことだ。
その後、前もってはがきをもらっていたかつてクライエントだった女性と短い時間話をする。
彼女は江東区に住んでいるため、区報を見てはがきをくれたのだ。
5年ほど前になるだろうか、摂食障害だった彼女は本当に死にそうな体重だった。25キロを切ったらカウンセリングよりクリニック受診を、と約束していたのに、彼女は26キロと主張してカウンセリングに来続けたのだ。
詳細は省くが、一人暮らしを始める。母親は「どうせ死ぬなら好きなことをさせてやろう」と思い、それを許した。その決断は途方もない勇気が必要だったと思う。
一人暮らしを始めた彼女は、むくみで動けなくなり救急車を自ら呼び内科に入院した。

そこから彼女は少しずつ食べれるようになり、嘔吐もなくなり、現在に至る。
今は結婚して夫の飲食店を手伝いながら、本当に幸せだと語った。「なんだか、過去の点がすべてつながって現在に至る気がするんです」「今ではあの親でよかった、ほんとうによかったって思えるんです」と語った。
「今でも信田先生の忘れられない言葉は〇〇〇〇なんですよ…本当に命の恩人です」

詳細は恥ずかしくて書けないが、非力な自分だが何か彼女にとって生きるために役に立てたと思うと、本当にうれしかった。
カウンセラーとして生きてきて一番うれしいと思うときだ。

帰り道、見上げるとスカイツリーの上半分が見えた。あまりの大きさに驚く。
先端部分は雲に隠れて見えない。
東京タワーとはまったく異なる形状は塔という感じがしない。なにか大きな筒を地上に突き刺したような印象を受ける。
歩けばすぐにたどり着けるような気がしたが、おそらくそれは大きさゆえの錯覚だろう。
連日見物客が絶えないというのもわからなくはないという気がした。


投稿者 sayoko: 02:58