2011年04月10日
ご心配をおかけしました。
前回当て逃げについてUPしたら、多くの方々からお見舞いのお言葉をいただいた。ありがとうございました。
ツイッター上でもツイートしていただき、ああ、私は多くのひとたちから思いやられているのだと感じた次第。おそらく地震の被災地の方たちも、自分たちが見捨てられていないと感じられるだけでどれほど心強いことだろう。
おかげさまで、内出血もまだらになり、紫から赤へ、そして黄色へと変色している。色の変化を仔細に観察するのもまた楽しい。ただ、もっとも強くぶつかった部分は飛び出たままで、これが引っ込むのにはかなり時間がかかるだろう。
もうすぐあの地震から一か月になる。
多くの人たちにとって最も長い一か月だったのではないだろうか。私も含めて、すべてが悪夢だったらと何度も願った人は無数に存在するはずだ。
一瞬のうちに失われた膨大な命、遺体すら見つかっていない死者の数々。子供を失った親たちは、自分の子供が冷たい海の中にいると考えるだけで胸が張り裂けそうになるに違いない。
ある朝目覚めたら、「すべてが夢だったんですよ、さあ、窓を開けてみてください。いつもどおりの街、太陽、海があなたを迎えてくれるでしょう」という声がするのではないか、そう思って眠りに就く人たち。
魂の存在を信じているわけではないが、海岸線に沿って広がる壊滅したコミュニティの数々から立ち上がってくるものがあると感じる。暴力的に突然中断された無数の生の魂が、今は穏やかになった春の入り口の海の上に去りがたく漂っている、と。
大震災心理支援センターの活動も本格的に始まった。大勢の臨床心理士が研修を受け、被災地や疎開したひとたちの支援をする。
私たち開業心理相談機関のメンバーも、何ができるかを模索している。確かなことは支援は長く長く続く、だから息長く行っていかなければならないということだ。ブログにはまだ書けないがかなり具体的になったプランもある。
それぞれの持ち場でできる支援をする、これが大切だろう。
もうひとつ私が注目しているのが宗教である。鎌倉仏教の誕生を見るまでもなく、日本の歴史において乱世・末世には仏教が大きな役割を果たしてきた。
今回の大震災も、すでに多くの新宗教が被災地に入っているという。また共同通信配信の写真は仏教の原点を示すようで感動的ですらある。http://hamusoku.com/archives/4433188.html
宗教関連のMLにも加わっているのだが、そこで毎日熱い議論が戦わされている。
宗教者の支援と臨床心理士による心の支援との関係はどのように理解されるべきだろう。
すでにアディクションの世界では、回復とスピリチュアルなテーマは重なるととらえられてきた。自助グループが回復に欠かせないこと、AAの12ステップと宗教は常に緊張をはらみながらも否定できない部分である。
あらゆる言葉が無効化される現実を目の当たりにした時に祈るしかないということ。神戸の大震災の折に、山折氏が述べられたことを思い出す。
今のところ臨床心理士の支援は学校と子供を対象にせざるを得ない。しかしいずれ親=おとなたちを対象とする時期がやってくる。
そしておとなには男性と女性がいること、つまりジェンダーの問題が表面化するときもくるだろう。支援の重点の移動、拡大についても今後見守っていきたい。
一ヶ月目を目前に、やっと落ち着きがもどってきた。事態がよくなったという意味ではなく、私の主観的世界があの大震災が本当に起きたということを受け入れることができるようになったという意味である。それほどまでに受け入れがたい現実ばかりが続いた。
さて、さまざまな雑誌がいっせいに震災特集を組んで発売されようとしている。一説によれば、原発関連の本はすべて売れているという。古書店でも異様に値上がりしているとか。
多くのひとたちが確かなものを求めている。
オピニオンリーダーと言われるひとたちが多くの評論やルポを書くだろう。その中から私たちは再度自分にとって確かなものを選んでいかなければならない。
あらゆる指標の基準は最後は私たち自身の中にあると思う。





