2008年04月22日

JSTSSが終わったと思ったら、これだぜ!

日本トラウマティックストレス学会(JSTSS)@福岡国際会議場参加。
前日までがんがんパワポを制作し、昨日(日曜)のシンポにぎりぎり間に合った。
こんなタイトな発表も初めてだったが、精神科医2名、弁護士1名のあいだに臨床心理士、それもおば(あ)さんが入ると言う構図もねえ。
けっこう緊張したし、いったい何を発表するのかも迷いの中だった。最後はいつもの度胸ってことで。
6月の外来精神医療学会のシンポも似たような構成だ。3人の精神科医(いずれも高名な男性)、それの司会が精神科医(男)と私。向こうは「信田さん、そんなこと思ってないでしょ」と言うだろうが、けっこう私のような立場は難しいのだ。非国家資格だし、大学のポストもないし、肩書きは誇れるようなもんじゃないしさ・・・・(ぶつぶつ)。
もう、日々サービスに明け暮れている裸一貫の私でしかないっつうの!

まあそれはさておき、JSTSSはこの年になってはじめて学会の愉しみを知った学会なのだ。
そんなこというと、ええっ、ほかの学会は??とクレームがつきそうだけど。はい、ためになる発表もあります(小声)
でも、でも、JSTSSという小規模だけど、設立以来わずか7年しかたっていないあの学会ももつ何ともいえない熱気、世界を見据えたトラウマ研究の最先端へのあくなき執着、エビデンスをめぐる熾烈な研究のリニューアル等は、参加する私を魅了する。
ふだん、精神科医を批判してやまない私だが、あの学会で出会う精神科医たちには正直脱帽だ。残念ながら臨床心理学の分野ではあまり感じない率直さに満ち溢れている。
あまり素朴な情緒を表さず、穏やかに無難に語ることを流儀とする世界とは異なり、トラウマ学会では、どの精神科医も率直である。そしてどの医師も臨床の場で患者さんと格闘して鍛えられている。それは負わされる責任の重さと比例しているのかもしれない。
臨床心理士は、一般的にはそれほど責任を負わされるほどの立場にはない、それは制度的なものだ。それが悪循環を生んでいるのかもしれない。
私もその一員である臨床心理士、心理臨床学会の多くのメンバーは、クライエントではなく、スーパーバイザーを(その上にはフロイトとユングがいる?)意識しているのではないだろうか、と邪推してしまうこともある。仲間内の世界っつうか。

トラウマは、傷、被害、生命、緊急、といったきわめて現実的でありながらも、評価が定まらない新しい研究領域を生み出し、エビデンスの評価も年々更新されている。まるで活火山のようだ。
このリアリティと速度が臨床の原点の再確認を生み出し、あの率直でラディカルな発言を生み出し肯定する空気をかもし出すのだろう。日本という閉じた共同体ではなく、グローバル規模の研究成果は、酸欠状態の私を賦活させてくれる。
大学院時代から、学会というと半分くらい抜け出して、観光、飲食というのが通例だった(ああ、告白してしまった)。ところがあの学会は、どれも参加したくなり、時間が重なっていると心より悔しいと思う。禁止されているのに、デジカメでそっとパワポのスクリーンを撮影する人の気持ちがよくわかる。
資料を作らないのもありがたい。ましてその後に資料回収、秘密厳守なんて内向きの自己防衛的なことを言わないのも心地いい。
臨床家と自称するひとがどこを向いているのか、誰に向き合っているのかは、すぐわかるものだ。私は生きるために、生計のためにクライエントと向き合っている。このシンプルさに共鳴するものをJSTSSで感じるのだ。

日曜夜9時過ぎに帰宅し、知的興奮でハイになった私だったが、日野市で起きたDV殺人事件を知って一気に落ちた。
今朝の朝日新聞は、社会面の右側に小さく出ていただけ。
妻を刺した夫は自宅に立てこもり、二階に長男が寝ていたという。夫は殺害を否認したけど逮捕された。その直前に近所のひとが言い争う声を聞いている。
警察はたぶん「夫婦喧嘩の果ての妻殺し」とでも判断したのだろう。そして息子を殺したわけではないし、妻にはそれなりの殺される理由があったのだろう、何しろ「夫婦喧嘩」だし・・とでも判断されるのだろう。
警察の記者クラブにいた知人に聞いても、夫が妻を刺したり殺した事件の通報があると「夫婦喧嘩だよ」と警察官が何ともいえない顔をするのだそうだ。
殺されたのが子どもだったらその10倍の扱いになるだろうに。生意気だったら夫は妻を「殺し」てもかまわないとでもいうのだろうか。
どうして毎日のように起きている夫による妻殺しを「DV」と呼ばないのだろうか。
私は二階で寝ていた(ことにされている)長男のことを思うと胸が痛む。父が母を殺したことは、その子の人生を決定する。
DVを目撃したことがどれほどその子の一生に影を落とすか。特に男児の場合、そんなトラウマを抱えて生きることの困難さを、長じて同じ加害者になることで克服していく例はむしろ常態だといってもいいだろう。
DVを見る、DVの音・声を聞く、DVの痕跡を目の当たりにする。これらが、直接被る虐待以上の虐待になるということを、もっともっと多くのひとたちに知ってもらいたい。
特に、マスコミ関係者(男性)、警察、検察、法務省関係者に。

投稿者sayoko:01:31 |