2009年04月07日
桜散る
別に縁起の悪い話ではありません、ただ事実を書いただけで。
結局花見には行かず、ず〜っと原稿を書いていた。HCCの窓から眺めるだけでもう十分という気がするからだ。あまり過剰に桜の花に意味を付与することに、少々嫌気もさしているし。
このところお笑いにハマッている。こう書くと、忙しいって言いながら何やってるんだとお叱りを受けそうだけど。
You tubeを見始めると止まらず、原稿もそっちのけで1時間も見てしまう。たぶんそんな私を隠しカメラでセキュリティ強化のために隠し撮りすれば、実に不気味な光景に思われるだろう。にやにや、時にはくくっと笑ったり、爆笑することもあるのだから。
お気に入りのコンビの名前は伏せるが、△△論でも書こうかと思うほどハマっている。
テレビ業界の不況の影響で、ギャラの安いお笑いタレントが席巻することになっているが、小中学生の人気には理由があると思う。
学校集団におけるサバイバル競争は激しくなるばかりだが、そこをかいくぐっていくために必要なスキルはお笑いがすべて与えてくれるのではないだろうか。
一部の論者の言うように、お笑いがいじめのテクを与えているというのは確かだろう。あのいじり方はやはりぎりぎりの危なさを秘めていると思う。
でもそのいっぽう、いじられても「痛い」対応をしないテクも与えてくれているのだ。
突出しないこと、かといって空気は確実に読むこと、微妙な位置でスケープゴートにならないでセーフになること、先手必勝とばかりにいじる対象をみつけること、いじられても痛くない反応をするだけのスキルをいくつか持っていること。
お笑いと一言でいうが、過酷な同質集団の中を生きていくための豊かなスキル、モデル、みせかけ術などに満ちているのだ。
深刻なドラマの与えてくれる感動には及ばないかもしれないが、現実に圧倒されないためにも「笑い倒す」ことは必要だろうし、そうすることで距離を保つこともできる。大阪の言葉は、標準語よりはるかに厚い地層に支えられた「笑い」の伝統を伝えてくれると思う。
チェコの人形劇が、時の権力者に対する抵抗のすべであったことをどこか思い出させてくれるお笑いブームである。
芹沢一也さんの新著「暴走するセキュリティ」(洋泉社y新書)を読む。加害・被害、さらには国家権力と精神科医療、精神障害者の犯罪など、読むほどにさまざまな問題意識が喚起される。文体もわかりやすく良書である。巻末の萱野稔人さんとの対談も興味深い。ナショナリズムの両価性、被害者が声高にそのイノセンスを主張することが、国家権力と手を結ぶことになること、などを、DVを舞台にして再考してみたい。





