2008年12月30日
1年間ご愛読ありがとうございました
いよいよ2008年も終わろうとしている。(たぶんこれがことし最後のBlogになるだろうから、こんな書き出しにしてみました)
近代的時間の宿命で、カレンダー、時計、さらには日々流されるテレビやマスメディアの圧力によって、昨日と同じ明日なのに、1年が終わり新しい年が始まったことになってしまう。
それにしても暗い年の暮れだったなあ(溜息)。あまり世相などというものに関心のない私だが、それでもなんだか今年の終わり方は切実感あふれるものがあった。
派遣労働だったクライエントが、「首を切られたのでもうカウンセリングには行けません」といった電話を掛けてくるという事実がごろごろしているのだ。
こんな時はかつてもあったのだろうか。おそらく後に大不況などと名付けられても、その当時は実感もないことが多かっただろう。
でも今度だけはどうも違う。そして後でわかるのだが、こんな時にこっそり黙って巨額の利益を得ている人が必ずいるのだ。それがだれかは、もちろん本人も言ったりしない(まるで宝くじに当たったひとのように)。
前回も書いたが、社会がこのようにぶっ壊れてくると、いっぽうで「うつ」が減少するという副次的効果が生まれる。それどころじゃないのかもしれない。いっぽうで、倒産、リストラで自殺する人も増える。
そのような論議で見過ごされるのが、社会の中間地帯(セーフティネット)として期待されている家族のことだ。社会の荒波の防波堤として家族が機能すれば、損害は最小化されることはいうまでもないだろう。
さて、大月書店から「1995年ー未了の問題圏」という中西新太郎編の本が出版された。95年といえば、こころ系、精神医学系の問題の立て方が大きく転換した年である。トラウマという言葉が一気に市民生活に浸透するきっかけとなったのだ。それは病理から被害の後遺症へとのパラダイムシフトの起きた年であることを表している。
その年が、社会経済的にも同じく大きな転換点であったとは。妙木浩之さんが心理経済学を提唱されているが、このように経済とこころの問題は大きくつながっているのだと思う。
いや、経済というとぴんとこないですね・・なんていうか社会構造の変化といったほうがいいのかもしれない。
それに96年はかの有名な「ACブーム」の起きた年だし。
前著はアマゾンで新年になったら取り寄せようと思っている。
こんなことを書いているのも、ある私の尊敬する評論家が、急に問題をすべて家族に帰属させるような発言をしているのを知ったからだ。
宅間守の事件はどう考えても、あのアルコール依存症の父親への復讐だろうと思うし、板橋の少年による両親惨殺事件もあの父のDVと虐待が背景にあったと思う。
しかしかの秋葉原事件をも、両親への復讐と書かれるとちょっとひいてしまうのだ、正直。このところ、ますます事件と家族のつながりに対して慎重になってしまう自分がいる。
ロスジェネ論もそうだが、家族からの被害者意識=AC(アダルト・チルドレン)から、社会の変動の被害者意識へとの転換がこのところめざましい。前著もそうだし、思想誌の創刊ラッシュもそうかもしれない。
そんな風潮の中で、某評論家の論調は私になんともいえないインパクトを与えたのだ。
もうすぐ新年を迎えるにあたって、社会かさもなくば家族か、といった単純な二項対立から遠くに位置したいと思う。
もともと「こころ」という単体、内向きな言葉にそれほど関心のない私だが、家族というと目の色が変わる。一昨年から吹き荒れたバックラッシュは、家族を自分たちの考える像に再度引き戻そうとするたくらみだった、もうそんなこと無理なのに。
カウンセリングで山ほど出会う家族の具体的諸相。そこを窓としながら、社会学や雑学から得た知識をつめこんだメガネで社会(といわれるもの)をのぞいていきたい。
それは俯瞰するのでもなく、かといって仰ぎ見るのでもない。もっと自在に角度を調節しながら、ああでもないこうでもないと頭をひねりつぶやき続ける作業となるだろう。
しかし、最後は、女性でありアラシスである私という立ち位置に戻ることは間違いないのだが。
といったわけで、一年間私のつたないBlogをご愛読いただきありがとうございました。来年もよろしくお願いします。





