2008年09月01日
9月到来
なんという秋の訪れだろう、来る日も来る日も雷鳴とどろく悪天候なんて。
先週の金曜日、ACGⅡの最中はたいへんだった。
夜の8時過ぎ、ミーティングルームの窓の外はピカっと光ったと思うと、ゴロゴロドッカーンと雷が落ちる音がする。あまりの音量にグループに参加している人の話し声が聞こえなくなるほどだった。
通常の雷であれば、ものの30分も経てば収まってくるものだが、あの晩はそうではなかった。もうグループが終わる9時になっても、まだまだゴロゴロと雷鳴はとどろいている。
例によってテレビ局のひとと打ち合わせが終わって10時15分くらいに退出。
わずか10分近く歩くあいだに、靴からスカート、カバンの中まで雨でぐっしょり。道路のマンホールからは雨水が噴き出し、道路はまるで川のように流れている。
日本中の人がこのBLOGを読んでいると思うのは、少々誇大的かもしれないが、それでもいろいろなところでお会いする人から愛読しています、といわれるとまんざらでもない。
私の原稿書きの愚痴もすっかり有名で、徹夜で原稿書き、大変ですね、などと言われたりする。
私はあまり他者に愚痴ったりしないほうなので(そう努力しているのですぞ、言行一致のためにね)、せめてこのBlogだけでも愚痴らせてもらうことにしているのだ。
昨年連載を3本抱えたときもさんざん愚痴ったのだけど、またまた連載が増えそうだ。
岩波の原稿は「ケア その思想と実践③」が発行されたので、よかったら読んでみてください。私的にはけっこう好きな論文だ。
さらに大物が40枚控えている。あと2週間の間になんとか形にしなければ。
ちょっといろいろ大変なことが重なっているので、むしろ原稿書きが息抜きになっているようだ。カウンセリングでクライエントに伝えていることを、自分に言い聞かせている。
長期的展望なんか持たないで、目前の課題をひとつずつこなしていきましょう、なんてね。
それにしても、だ。蟹工船が40万部を超える売れ行きを示し、日本共産党に1年で1万人が入党したという。ああ、こんな時が来るなんて。
新自由主義の弊害が格差と非正規雇用の一般化を生み、その苛烈な現状ゆえに若者たちが再び社会に目を向け始めた・・・こんなありきたりの説明で最近の傾向を説明できたというのだろうか。
待てよ、とブレーキがかかる。
たしかに思想誌の創刊が相次いでいるにしても、だ。だからこそ、必要なことがあるのではないだろうか。身の回りの関係性から社会を見るという視座の再確認である。
「世界」の鈴木謙介さんの論文に、アダルト・チルドレンのイノセンスは親との関係だった、ロスジェネのイノセンスは、社会の被害者というイノセンスであると書かれていた。このあたりが、たとえば雨宮処凛さんのアダルト・チルドレンブームに対する熾烈な批判につながっているのだろう。彼女の社会批判はいうまでもない。
私のスタンスはこうだ。ACとは親からの被害を承認する言葉であるに違いはないが、それは親個人に対するものではない。親の生きた時代、経験、社会状況といったものを文脈化し、そのことで親個人を超えるのだ。その背後にある社会歴史的文脈をネグレクトすれば、それは浅薄な恨み節となり、遺恨と心中することにつながるだろう。
ACとは社会に開かれたことばなのだ。
そう考えないと、心理学化から近年の思想ブームを対立項的にとらえることになってしまう。私の中では両者は対立しているわけではないからだ。





