2007年05月17日

りんじゅうき

個人的にはあまり好きな作家じゃないので、五木寛之を引用したくない。けれど林住期と言う題名の本がバカ売れしているのだ。渡辺淳一といい、けっこうお年かと拝察するが(わたしにそんなこという資格はない!って)、汲めども尽きぬ執筆意欲ですなあ。ああ、書くのもいやな「鈍感力」ということば。
30年以上前、渡辺淳一の北海道の冷気を漂わせるような清冽な物語は、私の図書館で借りる定番のひとつだった。それが今では・・;。
いやいや、作家も年齢とともに日々リニューアルしつづけており、変化する生き物だとすれば、昔はよかったなどと言うのはあまりに読者のわがままかもしれない。
林住期には、50歳にして家族は解散すべき、と書いてある(と新聞の見出しにあった)。おそらくあの本が売れているのは、あの一点によるのではないだろうか。
お金を出して買うつもりなんかないが、安部政権の発信する家族力の強調への強烈なカウンターパンチとなって、いっそう目立つという効果を生んでいるのは事実だろう。
それに、「東京タワー」ブームはなんなんだ!
リリーフランキーは、個人的には色っぽくて大好きなんだけど、オカンとオトンの物語の売れ方、映画化とテレビ(単発・連続もの)放映と重なると、もはや現象といっていい。それにしても、東京タワー現象は、いったいどうして起きたのだろうか。古典的アル中の父親像、がんばってけなげな母親像、それにしがみつくリリーフランキー・・これってどうよ!
と、そこに登場したのが「50歳にして夫婦解散」説だ。なんだかもう行き詰るような親子愛、母への思慕の大合唱に、一服の清涼剤のようにして登場したのが、五木寛之だった(ガクッ)。

あまりカウンセリングのことは書かないようにしているが、確実に増えているのが、行き暮れた女性たちの来談だ。それも私とそれほど年齢の変わらないひとたち。
結婚して子どもを何人か産み、中には仕事を全うした女性もいる。彼女たちにとって、子どもはすでに他者として距離がある。しかし、これからの長い人生を暮らしていく相手の夫と、正面から向かいあったとき、あまりのことに衝撃を受ける。
思い返してみれば、いつからだろう、ふたりの間には、あきらめと否認とわずかの幻想だけが、細い絆として残されていただけだった。という慨嘆はまだましだ。
ことばが交差しない、ことばを発することができない、ことばが理解できない、そんな夫であることに気づく。
彼女たちは必死で関係を再構築しようと試みるが、そのことによってさらに傷つけられ、けろっとしている夫の態度でもっと絶望的になる。
そんな女性たちが、オーバーに言えば全国からカウンセリングにやってくる。まるで私と会うことがアジールであるかのように。それはそれで光栄だし、うれしいことだ。
きわめて知的で、怜悧な観察眼、踏みつけられ続けてきたにもかかわらず、芽吹き続ける生命力。そんな彼女たちに会うたびに、つくづくお得な職業だと思う。
彼女たちは、たぶん五木寛之を読んではいないだろう(プライドにかけても)が、なんとなくあの本が売れる理由を納得してしまうのだ。

投稿者sayoko:23:42 |