2008年06月08日
ちょっと疲れ気味だけど、そんなこと言ってらんない
一昨日木曜は、池袋ジュンク堂で「加害者は変われるか?DVと虐待をみつめながら」の出版記念講演会。
聞きにいったことはあるが、あそこで話すのは実は初めてである。普段の聴衆のかたもちらほらだが、ジュンク堂で本を買っているらしい男性も多かった。書店の娘のせいか、あのような巨大な書店を見ると「日本の若者も捨てたもんじゃない」という気分になるのは、私が老人になったせいだろうか。
レジが一階に集中しているのも、「万引きしませんよね、あなた」という信頼の証しと思える。フロアの片隅に「絶版間近の岩波文庫フェア」なんてコーナーがあるのをみると、脳がうずいてしまう(ヘンな表現だ)。
私にとって至福の時間は、読みたい本を買って(まかり間違っても図書館で借りるんじゃないからね!)、落ち着いた70年代調のクラシック音楽(少し譲ってモダンジャズ)が流れる喫茶店で(カフェじゃないっつうの!)、まずいコーヒーを飲みながら真新しい紙のにおいのする本のページを繰るひとときだ。
そこは、ちょっとだけかび臭くて、薄暗くて、たばこのにおいも立ち込めているのが好ましい。
それにしても図書館で本を借りてしか読まないというひとの気がしれない。だって、どこのだれかが読んだかわからないのだから。まあ、リクエストして最初に読むという手もあるが、それにしたって少々いじましくないか。
たしかに税金を払っているのだから権利といえばいえなくもない。でもたかだか2000円未満である。そんなひとに限って、狂乱のバーゲンで血眼になってスカート6000円を購入したりしている。
まあ、価値観だけど・・私は本だけは買わなくては気が済まない。そしてそのあとにブックオフに出すこともしない。買いたたかれて、タダ同然で私の本にお金を支払われるくらいなら、いっそ捨ててしまったほうがいい。
そうやっていっぱい買い込んで、3年くらいで3分の1は捨てることになるのだ。
今日は、午前中は日本外来精神医療学会でシンポジウムの司会をつとめた。シンポジストは森山公男、岡野憲一郎、柴山雅俊の各氏だ。
2時間半の長丁場で大変充実した内容のシンポだった。何より好ましいと思ったのは、近年主流になりつつあるエビデンス偏重、フォーマット化した治療といったものと距離をとられている発表だったことだ。
日本の臨床現場で4つに組んだ経験に基づいた知見は、言葉の創出、診断をめぐる戸惑い、薬物療法への慎重さといった点で、精神科医の真摯な姿を見る思いだった。翻って臨床心理士はどうだろう。
まず臨床経験によって鍛えられる場の少なさがあるだろう。精神科医は彼らの悩みでもあるが、とにかく膨大な患者をこなさなければならない。そんな悩みがはたして臨床心理士にあるだろうか。それに、あの責任の重さである。臨床心理士の倫理も大切だが、「責任」の重圧によって鍛えられる機会は不幸にも少ないだろう。
それらが相俟って、臨床心理士の力量をあげることが困難になっていると思う。
翻って(ここから手前味噌)、私たちは新来クライエント数からみれば、ちょっとした精神科クリニック並みである。それもかなり難度の高い、介入の必要なケースも多い。そんな緊張と責任とが、私たちのスタッフの力量をあげるのではないだろうか。
今日のシンポでも、解離への決定的方策というよりも、解離(DID)がいかに時代を表現しており私たちにとって本源的なものかを感じることができた。
薬物投与を除けば、解離は十分臨床心理士でも対応可能である、と思った。





