2008年05月25日
京都から日帰りでした・・
フェミニストカウンセリング学会の大会が京都で開かれ、私は理事なので日帰りで参加した。
ほんとに忙しく、「名ばかり」理事と自称している。いくつかの学会理事、東京臨床心理士会の理事とくれば、土日はただでさえ忙しいのだから失礼してしまうことになる。
何しろ月一回は日曜出勤しているのだし、金曜の夜は月2回ACのグループカウンセリングだし、月曜夜はRRPのDV加害者プログラムだし。
手帳はいつも真っ黒になるくらいぎっしりのスケジュールなのだ。
それに加えて、GWのさぽり(っていうか、書斎の模様替えに手間どったのだ)がたたって、負債がふくらむいっぽうなのだ。つまり〜、たまった原稿がどんどん増えてるってことです。
ため息をつきながら、しかし講演などが目白押しだし、たぶん、自己破産するかも。
だけど原稿が書けなくて自殺したひとはいないだろうから、はい、なんとか睡眠時間を削って書くことになるだろう。
ああ、でも考えただけでも頭が破裂しそうだ。
ってわけで、気分転換のBlogなんですよ。
誕生日にはお花をいっぱいいただき、メールもいただきました。
でも、誕生日って、近代的時間の成立とともにできた言葉ですよね。別に誕生日の前と後で何かが変わるわけじゃなし。
時間の主観的流れと、時計によって刻まれる時間とはどうも違うのではないかと思っている。
PTSD的感覚に、「時の流れが止まったような」感じはしばしば起きるし、いやに時間が早く流れると思うときもあるし。だいたい、小学校低学年までの、あの時の流れのゆっくりさというか緻密な時間の豊かさはどうだろう。
人間が老いることと、時の流れの主観的受け止めとはどこか関連があるのではないかと思っている。しかし還暦を過ぎてからの私は、あまりの時の流れの速さに驚くばかりだ。
だからこそ、里程標というかその時を生きた証しである文章を一杯書いてその流れの中に確かにこの私がいたことを証明したいのかもしれない。
刑務所に入っていた人が言った言葉が忘れられない。
「3年間なんて、あっというまでした。てのひらに乗せた鳥の羽根を、ふっと吹いて飛ばす一瞬みたいなもんですよ」
嗚呼、私の老いへの道もそんな一瞬なのだろうか。





