2007年10月30日
古典をDSで読む?
昨日は11時間労働(それも感情労働ってわけ)だったし、今日は証明書類を求めて東奔西走。秋たけなわというのに、なんて蒸し暑いんだろう。汗ばむほどの陽気だ。
秋晴れのせいというより、不穏な湿り気を感じる。銀杏が少しだけ黄ばんでいるが、桜の狂い咲きもみられるという。
不断の多忙さに加えて、もうひとつ完遂しなければならない課題があり、あと一歩なのである。ゲットした暁には晴れてご紹介できると思うのでお楽しみに。まあ、老い行くわが身のために必要なことなのだけど。
社会学的に言えばロールモデルっていうんだろうが、ポスカン(ポスト還暦って意味です→プレカンもあり)の身にしてみれば、老い行くロールモデルが不在であるとつくづく思う。
若さと老いを対比したときに圧倒的価値を若さに求める風潮もそれに追い風となっている。たしかに若いほうが美しい。肌もつるつるピンとして、そりゃ触りたくもなるだろう。加齢臭のオヤジより、若い男性の汗のにおいのほうがずっと好ましい。
巷を歩くと、後姿は30代?と思う女性が、前から見ると明らかにプレカン風だ。ジーンズをはいて、髪型などまったく高校生と変わらない。安上がりだからそうしているのかもしれないが、なんだかそぐわないと思ってしまうのだ。
とすればポスカンの私たちはいったいどんな格好をすればいいのだろう。規範を求めているわけではないが、体型に合った楽な服を着ればいいといわれても、選ぶのは自分なのだから。50年昔だったら、とうに私も髪をうしろで束ねたいわゆるおばあさん風ヘアスタイルにしたがっていただろう。そして地味な着物でも着てメークなどしてはいなかっただろう。
だけど、私たちはどのような服を着ればいいのだろうか。よく「おしゃれですね」といわれるのだが、実は深く迷っているのだ。それはどのように老いればいいのかという問いにもなる。
老いのほうが意識より先に訪れて、寿命が尽きた時代は終わった。今、ポスカンの私たちは身体的老いと並行して老いる意識、その表象としての衣装を選ばなければならないのだ。その困難がある。西洋と異なり日本では着物文化をのぞいて、洋装で老いるモデルは不在なのだから。
結果として、いつも私は黒を選ぶ。黒を着ていればとりあえず無難でいられるからだ。ヨージ・ヤマモトの黒に落ち着くのもそのせいだ。でもね、今年は流行色のパープルに凝っている。ユニクロでついついパープルのフリースを買ってしまったほどだ。
こんなことで考え込んでいるひとはいないのだろうか。男性はどうなのだろう。まだまだ、そこまでは行ってないのだろうか。
ちょっと身内から借りたDSで古典を読んでみた。うーん、なかなかねえ、慣れないけどこういう時代が来たのだ、と感無量。かさばらないし、軽いのが何より。
今日はもうひとついいことがあった。佑ちゃんが完投勝利!早稲田の応援をしているのではない、言っとくけど。あの嬉しそうな顔を見るだけでいいのだから。





