2007年10月27日

「母性愛という制度」は勉強になるなぁ

怒涛の人数の朝カルの講座「母と娘」第二回目終了。
なんと一番大きな部屋だぞ〜!50人を超えたのだ。
ああ、原宿カウンセリングセンターにもこれだけのひとが押し寄せてくれたらなぁ(涙)教育プログラムの参加人数が減ってしまって、朝カルから借りてこようかと思うほどだ。
経営者はつらいよ・・とほほ・・・

母性愛に触れずして母と娘の関係は語れない。「春秋」連載の「墓守娘の嘆き」に加筆しているが、朝カルの講座と呼応しておりありがたい。
ということで、講義の前に田間泰子さんの「母性愛という制度」(勁草書房)と「母性愛神話のまぼろし」ダイアン・E・アイヤー著、大日向雅美・大日向史子訳(大修館書房)を予習。後者はボンディング理論の批判を論拠となっている調査・統計から批判した書だ。まあそれはそれとして、やはり面白いのは前者である。
実は虐待の講演をするために、それこそ3〜4年前にパラパラと読んだことはあった。勧めてくれたのはUさんだった。「資料を使ってこれだけの本が書けるのはすばらしい」との推奨とともに。

今回改めて読み直して母性愛がどのように構築され制度化されたかが改めて理解できた。母性愛が裏がわの「父親不在」とセットになっていること、母性愛の構成要素が自己犠牲的態度であること、などなど。
母性は自らの存立のために子どもを「必要」とすること、これは目うろこだ。母性はこのようにして子どもという他者を抑圧することになる。う〜む、そうだったのか。まるで男の存立のためには女でないことが証明されなければならないかのように。男は女でない存在という定義をもつがゆえに、女性に依存しているのだし。
それにしても心理学ってやっぱり現状維持的な学問だと思う。パラダイム転換ではなく、既成の制度を守りましょうというお約束のもとで展開される議論なのだから、面白いはずがないだろう。しかし、現実のクライエントのひとたちは、その転換がなければ救われないっていうか、出口なしになってしまうことも多い。
虐待はそもそも近代家族(母性と子どもを柱とする)のほころびから発生したものであり、それを前提とすることでしつけ→虐待という新たな定義が生まれたのに。ほころびに目を向けることなく、とにかく子どもを救いましょうではねぇ、つまんないじゃありませんか。
自明性にどんどん疑問を突きつけ、ドミナントな言説にひびを入れていくこと。社会学にはそんなスリルというか快楽があるのだが、かたや臨床心理学はねぇ。
唯一マイケルホワイト(ナラティヴ・セラピーで著名な)の本だけは、どきどきしたことを憶えている。
愚痴はこのへんにして、母性愛という制度が何を守るために構築されたのかがストンと落ちたことは確かなので、興味のある方は読んでみて欲しい。
今夜はアダルト・チルドレンのグループカウンセリングが9時半まで。おなかが空いてしまったが、脳も胸も一杯になるグループだ。しみじみと、いいグループだと思う。

明日は横浜市あざみ野にあるアートフォーラムで、読売新聞社主催のシンポに出演する。テーマは女性のうつだ。朝日から読売まで守備範囲が広いなぁ、これもお仕事、お仕事。
そうそう、1時半から日テレで六大学野球早慶戦が中継されるのだ。佑ちゃんカメラが別に設置されるらしい。斎藤佑樹だけを映し続けるテレビカメラが1台専用に備えられるのだ。頼んでビデオを予約しといてもらおうっと。

投稿者 sayoko: 02:26