2007年06月25日

海水浴場の焼き芋

高崎での学会はなかなか面白かった。かねてより親しい埼玉断酒新生会のAさんや、群馬で家族会を熱心に取り組んでいる男性、秩父での断酒会と行政が協力して取り組んでいる家族相談会の実践、大阪でのアルコール依存症の妻をもつ夫のグループ。
どれも先進的取り組みであり、総合司会の私としては大変やりがいを感じた。アルコール依存症の業界も、かつての治療者無力、みんなそろってプロも当事者も回復から、アダルト・チルドレンと共依存へ、そして現在はその先に行こうとしていると思われる。
国会では話題にもならないが、着実に日本全国で増加している外国人労働者の問題、そこでのアルコール依存症の問題なども取り上げられていた。
断酒会でDVの問題は鬼門なんだそうだ。それを知っていながら、Aさんをいじめるわたしも相当のワルだけど。とにかく背後にある暴力の問題、ジェンダー非対称の問題をいずれ正面切ってとりあげざるを得ないときが来るだろう。80年代から女性のアルコール依存症の問題は「妻たちの思秋期」という斎藤茂男の名著とともにいっせいに話題になったのに、その後日常の風景に溶けこんでしまい、今では分科会もなくなってしまった。

今日は愛知県の半田で講演。名鉄の知多半田駅で降りた。
遠い昔に聞いた地名、河和、野間、新舞子など。これは岐阜と言う海のない県で生まれた私にとって、海水浴に行ったことのあるスペシャルな地名なのだ。名鉄か国鉄だったかは覚えていないが、いずれも岐阜駅からは1時間以上かかったと思う。
今から3年半前に思い切ってかなづちの私が水泳を始めたことは、ブログ上でつとに有名になっている(でしょ?)。ではなぜ私がかなづちのままだったか。それにはいくつものトラウマがあるのだ。ひとつは祖父といっしょに川まで水泳に行ったとき、コンクリートの土手から後ろ向きに川に落ちたことだ。水の中で見た光景は、太陽がぼんやり明るい中を私の吐く息が泡となってのぼっていくところだ。苦しかったとか怖かったといった記憶はないのだが、祖父は相当あわてて私を救いだしたそうだ。
山間の私の生まれた町には二本の川が流れていて、そのひとつは自宅からほんの5分も歩けば行けた。真夏に浮き袋をもって祖父が連れていってくれたのだろう。5歳くらいだったと思う。
もうひとつが新舞子の記憶だ。両親が私を初めて海に連れていってくれたのだ。ところが、水着を着せたのに、私がどうしても水に入らない。砂浜でわんわん泣いて浮き袋のなかに立っていたことをぼんやり覚えている。両親はさぞや困ったことだろう。
そんな私を見てかわいそうに思ったのか、焼き芋屋のおばさんが焼き芋をくれた。なきじゃくって焼き芋を食べた記憶が、これまたぼんやり残っている。あれもたぶん4歳くらいではないだろうか。
なぜ海水浴場に焼き芋屋があったのか、それは謎だ。当時の知多半島の東側は、水もきれいで、おおぜいのひとが海水浴に訪れていた。さしずめ東京でいえば房総半島や伊豆に行くようなものだろう。
焼き芋を食べた私が、その後無事に海に入ったのかどうかは定かではない。両親は泣き叫ぶ私に手を焼いて、果たして海水浴ができたのだろうか。今から思えばかわいそうなことをしたと思う。なぜ海に入るのがあれほど怖かったのだろう。
そんなこんなで、私は泳ぐことがきらいなまま、当時は水泳教室なんかなかったので、適当にごまかしながらかなづちで生きてきたというわけだ。
今日は日帰りで半田市まででかけて、河和行きの特急に乗りながら、あの幼いころの新舞子の焼き芋を思い出したというわけだ。

投稿者 sayoko: 01:45