2007年06月05日

アルモドバル・空中庭園

3日は第15回東京臨床心理士会大会だった。
理事の私は朝8時45分から夜の8時までフル回転。前代未聞の500人余りの会員が参加して大盛況だった。
その直前まで、ちょっととんがった他誌との差異化を意識した女性誌「ヌメロ」(ほんとうはフランス語表記です)に、映画評を頼まれており、その原稿で呻吟していた。
ペドロ・アルモドバル監督は、カルト的作品で有名だが、デビットリンチとは違って、もっと物語性がある。ゲイであることをカムアウトしており、変態的作風であるが、それに圧倒されない哀愁と怖さがひそんでいる点が私は好きだ。
最新作「ボルベール<帰郷>」は、公開されたらすぐ見にいくつもりだったから、事前に見れてラッキーと思ったのが浅はかだった。
字数が決まっていて、肝の部分は明かせず、それでいて読者に見に行きたい動機をつくらなければならないなんて!
結局ビデオを見てから二晩かけて、真夜中に頭をかきむしって書き上げた。できれば7月号で読んでみてください。書けば書くほどするめのように味が出てくる監督だ。本作の周到な仕掛けは、映評を書きながらやっと見えてくるものがあった。
ついでに空中庭園を見る。豊田利晃監督・脚本、角田光代原作、小泉今日子主演だ。
うーん、ぎりぎりのところで「くささ」を免れている。家族ゲーム(大森監督)の二番煎じにならないための設定がいくつかみえる。
ただ、最後の血の雨が降るのはいかがなものか。それにあたかも主人公が記憶を捏造しているかのような(つまり母は虐待していたのでなく、自分の思い込みだった)設定も?だ。
家族がバラバラで学芸会を演じているのであり、すべてが計画的につくられた家族だった、という設定はよしとしよう。近代家族そのものが空中庭園なのだという隠喩もよしとしよう。
でも、あの結末はどうなんだろう。虚構の果てに、嘘を全員が知りながら、誕生日のプレゼントを贈る、それが「家族」なのだという肯定にたどりつくとは。
そこにいたるまでに、あのようなおどろおどろしい設定が必要なのだろうか。作品としては、あの半分でもよくて、あの結末に至る前に終わってもよかったと思う。蛇足というか饒舌すぎる描写に少々辟易した。
でも、まあ秀作の部類でしょう。
監督が公開直後だったか、薬物不法所持で逮捕されるという事件のおかげで、せっかくの映画がミソをつけてしまったのは残念だ。たしか小泉今日子は賞を取ったはずだったが。

投稿者 sayoko: 03:33