2007年01月13日

なぜDVと呼ばない?「愛情より安全を」

新年早々奇怪でグロテスクな事件が続発している。
いずれも渋谷区で発生したもので、日本中がバラバラ死体というめったにない言葉に席捲されてしまっている。
朝カルの講座が昨日(木)から開始された。「愛情より安全を」は、朝カル講座のテーマだ。参加者の多くがそれらの事件の容疑者を事前にかなり正確に言い当てていた。「女性のバラバラ死体の犯人は家族の中にいる」「あの妻が夫を殺したのはたぶんDVの結果でしょう」といったように。
妹を殺した年子の兄の事件に、当初から私は性的なにおいを感じていた。テレビでそのことを否定した論者もいたらしいが、週刊誌は容赦がない。文春、新潮両誌はあの細かい切断ぶりを「近親相姦」(ちなみに「相」は入れない、なぜなら相互性を意味するから)と断じ、乳房と陰部を切断して持ち歩いたことを報じた。
別のスポーツ紙は、妹は兄の激しい暴力を避けて家を出てキャバクラでバイトをしていたと報じている。3年間口をきかなかったというのは、殴られるのを恐れて妹が避けていたのかもしれない。
兄から妹に暴力がふるわれるのは、兄に対して父からの暴力(身体的虐待)がなければ考えられない。父は次男だけに暴力をふるったわけではないだろう。娘や、ひょっとして妻へのDVもあったかもしれない。
とすると、父→次男・娘・妻への暴力が、次男→長女の暴力を生んだ(もしくは正当化した)といえる。しばしば家族内暴力は、このような権力の強者→弱者という序列に添って行使されるからだ。弱者である妹からのことばによる反撃が、最終的暴力(殺人)に帰結したのかもしれない。
暴力をふるっている側は、ふるわれる側の恐怖を理解も想像もできない。恐怖を抱いても被害者はプライドゆえにむしろ恐怖を否認した態度をとるからだ。DV加害者たちはどれほど妻が怯えているかを知らない。「女性だって暴力をふるってるよ」「ほんとは女性のことばのほうがひどい」といった反DVの言説は、DVの根幹は被害者の抱く「恐怖」にあることを理解していない。彼女たちは「夫がこわい」というひとことを言うのに、どれほど惨めな思いをするか。それはあの夫に屈したことを意味すると考えるからだ。

妻が夫を殺した事件は、昨晩のテレ朝、TBSともに一切夫からの暴力に言及しなかった。お定まりのご近所聞き込みの恣意的意見の羅列によって「見栄っ張りの妻だった」「セレブ指向の女性」といった加害者像をつくりあげるだけだ。すでに一部のスポーツ紙は見出しに「DVを受けていた」という文字が踊っていたにもかかわらず。
今夜のニュースは彼女が一昨年に夫のDVで骨折して病院で治療を受けていたこと、医師が不自然な受傷を不審に思い警察に届け、警察官から彼女は夫を傷害罪で訴えるように勧められていたことを報道した。「しかしなぜか彼女はそれを拒んだ」という思わせぶりなコメントとともに。
以上はTBSのニュース23によるが、ここでもDV(ドメスティック・バイオレンス)という言葉は使われていない。子どもが餓死すれば「虐待」と華々しく報道するテレビが一転してDVには「家庭内暴力」というのはなぜか。
歯科医の息子の事件も、加害者が被害者に暴力をふるっていたことは報道されない。これもなぜだろう。もし息子が「親」を殴っていたら、すぐさまそう報道されるだろうに。
以前過去ログでも書いたが、DVが犯罪化されておらず、被害者が訴えなければ刑事事件にならないのが日本のDV防止法の現状だ。妻が夫を訴えなかったので、殺された夫はそのまま外資系の証券マンとして働き続けられた。あそこで逮捕されていたら、皮肉にも彼は殺されることはなかっただろう。
2002年だったか、東大のジェンダーコロキウムという自主ゼミに参加した折、韓国からの留学生(30代女性)にどうして韓国ではDVが犯罪化されたのかをたずねた。彼女はこう言った。
「1996年にある事件が起きたんですね、50代の女性が夫をめった刺しにしたんです。逮捕された妻はこう言いました、『結婚してずっと夫から殴られてきました。このままでは私が殺される、年老いても暴力から逃れられないとしたらいっそ夫を殺そうと思ったのです。そして刺しながら夫が今にも生き返ってまた暴力をふるうんじゃないかと怖くて、何箇所も刺し続けました』と。この事件が大々的に報道されて、これが追い風になって一気にDV防止法が成立したんです」
それを聞いた私はこう言った。
「日本でも、もっと妻が夫を殺すようになれば、男性たちもこのままDVを野放しにすると自分たちも妻から殺されるかもしれないと考えて、DVを犯罪化するようになるかもしれない」と。不謹慎な言葉かもしれないが、韓国では多くの男性たちもその法律に賛成したのだから、きっと口には出さないが、私と同じように考えていたのではないか。
その話を何度もしているのだが(おしゃべりだなあ、私って)、あるひとが今回の事件を知ったとき、真っ先に私のこの話を思い出して「きっとこの妻は夫のDVを受けていたんだ」と直感したという。結婚半年からけんかが始まったという報道も、私の「DVは結婚3ヶ月から半年で始まります」ということばとつながり、確信を深めたのだと。
この二つのバラバラ殺人事件は、加害者と被害者の関係がいずれも家族だったこと、男女間で起きていること、男性から女性への暴力(つまりDVや性的虐待)が起きていたこと、DVの延長と、受動の反転である攻撃殺人の違いはあるが、加害者が追い詰められていたこと、などが共通している。
「けんか」「愛情」「やさしさ」といったやわな言葉では二つの事件は解読不能だ。

ただ死体の処理に困ったふたりが、死体をばらばらにするという方法を取ったことは特有の身体観を感じさせる。パーツに分解できる身体、捨ててしまって目前から消えてしまえばそれで終わるという身体観は、これまでにないものだ。処理可能なモノに溢れた現代において、唯一それが不可能なモノとしての死体(身体)を処理する方法が、バラバラ殺人だとすれば、そこにどこかゲーム感覚を感じ取ってしまうのは私だけだろうか。家族からバラバラにされないように気をつけよう、なんてジョークが飛び交うかも・・ね。

長くなったが、この事件報道から透けてみえるものは、マスコミのDVに対する腰の引けた姿勢だ。被害者が大人の女性であることから、確かに被虐待児のようなイノセンスは保障されないが、それにしても、夫を殺した当時もあざが残っていたという容疑者に対する夫の暴力をDVと呼ぶことは、別に妻の殺人行為を正当化するものではない。だから恐れずにDVと呼べばいいのだ。妻の風貌が弱者っぽくないので、災いしているとでもいうのだろうか。どうも韓国の報道のようにはいかないようだ。今年はDV防止法の2回目の改正の年だというのに。

投稿者 sayoko: 03:55