2006年06月22日
うーっ、体調悪い(涙)
過去の統計によれば(今頃?還暦過ぎてから何言ってんの)、いつも体調を崩すのは6月の梅雨どきが多いことが明らかになった。なーんて勿体ぶったこと言っちゃってさ。
要するに体調がすぐれないのだ。だるーくて、ときどき猛烈な悪寒に襲われたかと思うと、目茶目茶暑くなったりする。
低血圧なんで(上は100までいかない)そのせいかもしれないが、とにかく長袖を手放せない。だるいと頭の中までどよよーんとして、脳みそが汚泥と化してしまった気分だ。
DVとか虐待のような家族内暴力に対して、加害者・被害者という表現をすることへの抵抗はほぼ無くなったといっていいだろう。この覇権主義的言説の流布は、それでも1995年以来約10年をかけて日本中の援助者を覆いつくした。
問題はその後だ。
一つ屋根の下にかつて加害者と呼ばれた夫と被害者である妻とが同じ空気を吸って暮らしていく。もしくは家族再統合という掛け声とともに、虐待した親と養護施設に保護された子どもが再同居を始める。それからの困難さを本気で考える必要がある。
もちろん海外の文献を漁るのも必要だろうが、腕を組んでじっくりと考えたい。
アダルト・チルドレンと自覚したひとたちの老いた親との関係性にもつながるだろう。わが国の常として、60年前のあの戦争のことすら表向きは水に流してしまったのだから、とにかくやり過ごすこと、そうやって老いることが唯一の解決法だった。
でもそうはいかない。加害・被害というパラダイムが軽い調子で口にのぼることで、それは許されなくなった。少なくともそう希望したい。
DVの夫婦のその後については意外なところに参考になるテクストがあった。
「<老い衰えゆくこと>の社会学」(天田城介、多賀出版、2003)である。本書は8500円もする大著である。S石さんの推薦でとりあえず買ってみたものの、あまりの厚さに恐れおののいて、本棚で背表紙だけを目で消費する日々が続いていた。
きっかけは半身浴である。
あまりの体調低迷にサウナに行く気力もなくなり、自宅の浴室でサウナスーツ(これがさ、また面白い製品なんだよ)を着込んで半身浴とあいなったのだ。
その際に必要なものが、本と老眼鏡だ。本は厚ければ厚いほど安定する。
と、そのとき目に留まったのが本書だった。
昨年度日本社会学会賞を受賞したという記事をどこかで記憶しており、まあいいかと読み始めたのだ。ところがびっくり、非常に読みやすい。特に第6章はおもしろい。
先述した加害者と被害者がどうやって家族のなかで、たった二人で共存していくのか、という問いへの答えがそこに示されている気がした。
用心深く記述されているが、老いてお互いしか頼るものがない、という状況になっても、夫の考えることと妻の考えることは非対称的に乖離したままであることが聞き取り調査によって示される。
誰にも見せられない格好だが、汗をたらたら流しながら読むには最適な本だ。なにしろ厚さゆえに「立つ」本なのだから。
小熊英二の「<民主>と<愛国>」(新曜社)もこうやって読めば読了できるのだろうか。





