2006年03月07日
送還日記
キム・ドンウオン監督、2004年の韓国映画だ。
初日、森達也の舞台挨拶つきというのに、シネアミューズは三分の二の入り(涙)。
隣のブースでは「美しき野獣」(クオン・サンウ主演)が超満員という、同じ韓国映画でありながらの対比はどうだろう。
1970年代までは盛んに口にされた「転向」ということばの持つ意味、その重さを感じ取れないひとは、おそらく映画の背骨の部分が理解できないだろう。20代、30代の観客は眠っているひともいた。そのことがショックだ。
35年以上、北のスパイ容疑で逮捕され、刑務所の中で30年以上の長きにわたって金日成の主体思想からの転向を拷問とともに強制され続けた男性たち。多くは病死し、多くは過酷な拷問で死亡し、そして転向した。ところが非転向のままに刑務所から出所した男たちがいた。彼らを10年以上追い続け、そして金大中の太陽政策とともに北に送還されるまでを描いたドキュメントである。
監督自身も途中で逮捕されたり、事務所が強制捜索を受けるなど、政治的圧力をかいくぐったシーンは迫力満点である。そして北に送還される当日、彼らの荷物が検査されることに抗議しながら機動隊の列を追い払うように彼らを乗せたバスは出発する。追いすがって泣く支援者の数々。
彼らは送還後、北の英雄とされ「非転向」を貫いたことを称えられ、家族と再会を果たした。
ひとはパンのみにて生くるにあらずというフレーズを思う。しかし彼らは思想を生きたのであろうか。イデオロギーを支えに、獄中で拷問に耐えたのであろうか。監督はひとつの回答を用意している。彼らは主体思想によって、それだけで35年を耐えたのではない。刑務所のあまりに非人間的扱いに対する怒りから、非転向を貫いたのである、と。この記述は、中公新書「安田講堂、1968-1969」(島泰三)を想起させる。
安田講堂に立てこもった自分たちを振り返って著者は同じようなことを書いている。あれはイデオロギーであったか。むしろ機動隊や大学の卑怯な裏切りや、打算に対する素朴な怒りからだったのではなかったかと。
とすれば、皮肉にも南の刑務所の映画でおなじみの水攻め、殴打、吊り下げ、などの拷問が彼らの非転向を助長したことになる。なんだかアルコール依存症の「酒やめろ」コールが、彼らの飲酒をますます助長することと似てないか?
獄中から解放後、彼らにとって穏やかな南の日常は存在しない。米帝の影を読み取り、汚れた現実から北への望郷の念を募らせる。それでも南の支援者(主として女性)との交流の穏やかさは彼らの日常を彩る。美しい、抒情さえ感じさせるシーンは続く。これらの日常生活の細やかな描写がこの映画を下支えしている。
しかし南であろうと、北に送還後であろうと、共通しているのが家族の絆の強調であり、オムニへの思慕である。そして女性と結ばれることへの、初心な少年のようなあこがれである。
撮影の歳月が南北朝鮮の関係の変化を包含し、こわれもののような北の描写へとつながる。
明確な構想もなく、ひたすら撮り続けてきた監督が、一本のドキュメンタリーにまとめるとき、何を強調したか。
日常をともに過ごした男同士の堅きつながり、暴力で人間を支配することへの憤り、そして家族の(特に母との)絆、異性と結ばれることの美化である。そう、なんというホモソーシャルな世界!
韓国で大ヒットした理由はおそらくそこにあったのだろう。「思想はなんであれ」、わたしたち南の人間と非転向のひとたちは変わらない、というメッセージが込められていたからだ。韓流ドラマに流れるものとそれは何一つ変わらない。聖化された母親像、命懸けて守る最愛の女性(ただし結婚するまで)、卑怯なことはしない、等々。
とすると、この映画は思想・イデオロギーを完膚なきまでに骨抜きにすることに成功した作品だといえるだろう。結果的に、南北分断の悲劇を、南の主導によって統一することの正当性を証明したことになる。ドキュメントタッチであるからこそ、その説得力は倍増する。
ひととのつながり、ヒューマニズムという曖昧なそれでいて女性に対する視線の無謬性を前提としたことばに回収される危険性。それに対する無自覚さが、この映画を浅くしている。
ちょっと見には思想を超える人間同士のつながりを描いたかに思えるが、よく反芻すれば、韓国の視点で非転向の意味を再定義し統一の視点を提示した、きわめて政治的映画である。少なくともわたしにはそう思えた。





