2006年01月06日
メッセージはマッサージである
どこかで聞いたようなタイトルだけど、すみません。
それにしても寒い。カナダのオタワでマイナス10度を経験したわたしですら寒い。
おまけに日本海側は大雪。ほんとに白い悪魔のように見えるんだろうなあ。
ここ10年以上、「雪が降らんようになった」「昔はこの辺まで積もったもんじゃ」と指で屋根のあたりを指差す風景ばかり見てきたが、2メートルを越す積雪で家屋が倒壊するかもしれないときが再来するとは想像だにしなかっただろう。
さてさて昨日は懸案の原稿を3本仕上げ(といっても短いのだが)、本来の25枚の原稿に難渋しているところ。
文献を検索しながら、ついついネットで寄り道してしまう(汗)。
それにしても「心理学・・」「カウンセリング・・」と名のついたサイトの多いこと、雨後のたけのことはよく言ったもので、猛烈な勢いで増殖しているようだ。
思わずクリックして入ってみるのだが、うーん、ため息ばかりが出る。
「必ず幸せになる法」「だいじょうぶ、あなたは必ず・・」「そう、受け止めてあげる」「いいんだよ、そのままのあなたで」などなど・・。
そうやってお客さんを獲得して一儲けしている自称カウンセラーが山ほどいるんだろうなあ。
そういう私たちだって国家資格じゃないし、医者からすれば自称カウンセラーとどこが違うの?と言われてしまうだろう。
わたしの10年は精神科医療と公的機関のニッチをみつけてきたのである、と公言している。しかしいっぽうでネットで日々増殖中のカウンセラーとの差異化を図ることも大切だと思っている。
しかし社会の心理学化の勢いはやまず、ネオリベラリズムの繁茂とリンクして個人の内面、気分の持ちよう(上大岡トメの「キッパリ!」を立ち読みしてくれ)に収斂する傾向は強まるばかりだろう。そんな一極集中に「自己」「わたし」が耐えられるはずもない。そこで登場するのが占いである。
細木数子や鏡りゅうじ(このひとは自覚的である点ですごい)の大人気はネオリベの生み出した副産物だ。そして、そして「宗教」だす。
最後は「宗教」だすよ!
20世紀末にわたしは上野ゼミでこう言った。
「21世紀のわたしたちのライバルは宗教になるでしょう」と(偉そうじゃん)
AAについて、その宗教性をつきつめて論じるひとが出てきてほしいものだ。
その間隙を縫うのが「身体系」であることはほぼ間違いない。親愛なる今一生さんがプロデュースした葵さんの本も、抗うつ剤よりジム通いのほうが効いたという話だったし。なにしろリスカは身体系の時代に対する負の先取現象だと思うんだなあ。
だって、このわたしが水泳とサウナにハマるんだからさ!今日はさらにおまけのごほうびを自分にあげたのさ、なんだかわかる?
じゃーん、マッサージに行ったんだよ(るんるん)
1時間イケメンのマッサージのお兄さんに全身をもんでもらい、最後はストレッチ棒とかいうものを使って縮こまってしまった胸の筋肉をストレッチした・・超気持ちよかったっす!!
サウナの後だけあって、余計に効果が高まったようだ。
こう書いてくると、わたしたちが生きていく上で利用できるもののオプションが実に豊かになったことを実感。
昔のようにとにかく本を読め、音楽を聴け、といった知と教養の円錐構造がまったく異なるアメーバ状の広がりを見せている。陳腐なカウンセリングでもそれが気に入ればOK,占いで人生を決めてもそれで納得すればOK,毎日ジムに通ってサウナに入って急いで子どもが帰る前に戻るのでもOK,もちろん信田の本を読んでも超OK.
そして宗教の登場である。最近某MLで宗教学者Kさんと知り合う機会があり、いっそうその問題を考えさせられている。
大澤真幸と北田暁大との「デザイン」での対談も、構築主義を超えることを意図された興味深いものだった。構築主義の功績を評価しつつも、歴史修正主義にみられるような物語論の剽窃の限界をどのように超えるのかというテーマだったと記憶している。
あまり好きなタイプじゃないけど、行き詰るといつも「内田樹の研究室」を訪れるわたしだ。昨日も「未来は他者である」というBlogを読み、いたく感じ入った。
とにかく考え抜く、という姿勢はすぐに息が上がってしまうわたしとしては耳に痛いが、なんというか、名人が目の前でおいしいおすしを握ってくれているのを指をくわえて見ているという感じなんですね。
明日(正確には今日)から仕事始め。
いろいろ仕事のペースも含め、ことしは大きな変化を試みるつもり。
というわけで、再度原稿に向かいますです。





