2005年10月10日
西高東低
昨日心理臨床学会の理事会終了後16:08ののぞみで京都入り。
第一回日本男性学会議『メインテーマ、DV・虐待、加害者アプローチ研究全国大会』に参加するためだ。
昨晩の交流会に続き、今朝はメインシンポ「加害者プログラムの実践」のシンポジストとして、だ。メンズリブなどの男性の自助グループは圧倒的に西高東低である。実は心理臨床の世界もそうなのだ。
かつてのアルコール医療も大阪がすべてのさきがけだったし、昨今の被害者支援、トラウマ治療も神戸・京都あたりが勢いがある。
東京は西のエネルギーの高まりを見ながら上澄みを掬い取り、お得意のマスコミを利用して逆に発信することでお株を奪っているのかもしれない。
それにしてもカルチャーショックだった。中年のおじさんたちが「当事者語り」を滔々と述べるのである。アルコール依存症の男性のそれは耳慣れているが、彼らの語りは断酒にまつわるものだから定型的なのだ。だから安心できる。
ところがねえ、男の生きづらさを自助グループ的に語るというのは、うーんショックだった。
望まずして男という性に生まれ、女性より圧倒的優位な立場を無自覚に選ばされ、おまけに信じた妻からはDVだと責められる・・・といったことなのだろうか。
シンポの質問でちょと絡まれたのだが、同じシンポジストのJUSTのMさんとTさんがとても心配してくれた。ありがとね、大丈夫ですよ。
ときどき講演会であのような質問をする男性に対し、「まるで自分の父親みたい」と不安になりフラッシュバックが起きるひともいる。逆に「そういうのがDVって言うんだよ」と激しく反応するひともいる(みんな女性なんだけどね)。
精神病院でアルコール依存症の患者さんたちに酒害を説明しているとき、しばしば絡まれたものだ。一番腹が立ったのはもしわたしが男性だったら決してそのような反応はしないということについてだった。
DVについての講演はそれだけポリティカルというか力関係への反応を生起させるのだなあ、と実感。やはり虐待についてだけしゃべってたほうが無難だというのは根拠があったんだ。
千葉大の後藤さんと雑談。
同じくシンポジストで主催者である中村正さんとも始めて親しく話ができた。
DV加害者に対してのアプローチは彼が先駆者である。アメリカ流のプログラムにはないものを、ことばの創出も含めて追求している姿勢に深く印象づけられる。
私も昨年から初めてDV加害者グループにかかわったのだが、少しずつ見えてくるものがある。カナダのBC州モデルで実施しているのだが、日本の男性と北米で前提とされる男性との相違をやはり感じさせられる。
そのあたりを考えることが実に楽しい。
中村さんが後藤さんも含め、3人での語りをどこかで本にしようという話になった。NNG(頭文字)なんて名称を作って出版社に売り込むことになりそうだ!?。
帰りの新幹線では爆睡。
暴力は受けたひとの何かを壊す。統合された自我を破壊する、と言っちゃうとあまりに月並みだなあ。立っている足元の地面というか、心臓あたりにある重心(ひょっとして丹田か)が、なんかこうばらばらに破砕される感じとでもいおうか。それが復元するのには恐ろしく時間がかかる。
双方が対等な戦闘モードのときにはそのような影響は発生しない。相手をおとしめ、自分の立ち位置を優位に引き上げる。そのことによって『低レベルの自我の統一がもたらされる』(中井久夫)のであり、力を得るのだ。
このような被害者と加害者との経験の落差を埋めていく必要があるだろう。力を得たものは暴力・暴言の行使によって相手に与えた影響を知る必要がある。「ライファーズ」のようなプロセスをたどるのか、それとも正攻法でいくのか。
暴力についてはどれだけ本を読んでも、なかなか文にすることは困難だ。





