2005年10月04日

雨の中に漂うきんもくせいの香り

今日は群馬県前橋で講演+演習(事例検討)。
もう10年以上前から子ども虐待をテーマの講演をしているが、確実に法制定によって援助現場が変わったことを実感する。
少なくとも95年の段階では、虐待の介入?守秘義務はどうする?だって家庭の中のことはプライバシーでしょ?といった会話が常識だった。物好きなアディクション関係者、向こう見ずな援助者だけが、無鉄砲な介入をしゃにむに行っては燃え尽きていたものだ。
ところが今では虐待の専門家ばかりなんだから・・。先進国の文献は豊富だし、3日間くらい養護施設で実習すれば現場を知ったことになるし。
10年前にプライバシーを謳っていたひとが、虐待防止法が制定され、虐待死が発生すると児相が責められるといった事態を前にして、介入大賛成になだれを打っていく。もちろん子どもが救われるのだから、子どもの命を犠牲にしていいプライバシーはないのだから、望ましいことだとは思う。でもなんかなあ・・・。
もともと守秘義務だなんていったって自己保身だったわけだし、だから簡単に寝返ることができちゃうんだろうけど。天皇が8月15日にラジオ放送したら、いっせいにばたばたと世の中がアメリカの民主主義にむかってなだれを打っていくのとどこか似てるんじゃないかなあ、と考えた。
法律が制定されるといっせいになびく、専門家もアメリカなどの先進国を取り入れることになんのためらいもない。ためらいのなさがけっこうわたしはいやなんだね。
『ためらいの倫理学』という内田樹の本があるが、このところDVの被害者支援についてもやっぱりためらいが必要だと感じ始めている。
DV加害者プログラムなんて一番やばいことにかかわっているのも、どこかにそんなバランス感覚が働いているのだ。
でもまだまだだ。政府は助成金を増額せずして配置転換を行うだけで虐待要員を確保したつもりになっている。地方自治体こそ大変だ。養護施設は満杯、通報は増える、要保護のケースばかり。
おまけに親に対しては無策なままだ。家庭訪問してちょっと会話して、時間がたったら「家族再統合」だなんてさ。今では男親(父親)の虐待が増加しているのに、相変わらず虐待者というと母親を想定した対策ばかりだし。
シェルターだって被害者女性が逃げてきても、シェルター内での学習やプログラムはほとんど手付かずだ。
うーむとうなりながらいっぱい課題を感じさせられる。でも原宿カウンセリングセンターで仕事をしているときには見えない現実を気づかされるのはどこか武者震いさせられる思いで嫌いではない。
それにしても公的機関で眼にする虐待のケースはいつもながら暗澹たる思いにわたしを陥れる。山田昌弘の『希望格差社会』を実感する。
お金なし、学歴なし、信頼できる親なし、人間関係のスキルなし、といった若者が束の間の希望と幻想を抱きセックスして妊娠する。中絶のお金もないので結婚する。こうして生まれた新たな家族は虐待のハイリスクファミリーなのである。そこにスパイスとして統合失調、ギャンブル依存などがブレンドされ、DVと虐待まみれの家族関係がデフレスパイラルを起こしながらどうにも止まらなくなっていく。
機能不全家族ということばはあまりに人口に膾炙したためにベタ過ぎて一切使うことはなかったが、そんなケースレポートを見ているとつくづく、これぞ機能不全家族だと首肯させられる。
終了後、前橋大島駅(両毛線)まで送ってもらう車内に、どこからかきんもくせいの香が漂ってきた。最低気温の低下によって開花すると聞いたが、しみじみと秋を深く感じ入るにおいであった。
HCCのHPが今日からリニューアルした。多くのひとの眼に触れるといいなあ。

投稿者 sayoko: 21:57