2010年07月27日
激暑だってさ!
熱中症による高齢者の死亡数が昨年の二倍を記録しているとか・・・
自分では大丈夫と思っていても、高齢になると体温調節機能が低下して、気が付くと手遅れになってしまうらしい。高齢者のひとりとしては気を付けなければと思っている。仕事もそうだ。あまり疲れなくなった、と感じるのは危険なのかもしれない。
明日から週末まではあらゆる仕事をストップする予定(理由はリコンストラクションということで)。
そういいながらも、たぶん9月には本が二冊出版される予定。ひょっとすると三冊になるかもしれない。
2007年までは、せいぜい毎年一冊のペースで出版していたが、2008年から年に二冊~三冊の本を出版するようになった。
そのぶんハードワークになったということだ。
日常のカウンセラーとしての仕事が減ったわけではなく、むしろ原宿カウンセリングセンターを訪れるクライエントのひとたちの問題は年々困難さを増している。ということは、所長である私の責任は重くなっているということだ。
今日は静岡市のこころの健康センター主催の講演に日帰りで出かけてきた。80名近い方々が聞きにきてくださった。
平日の、それも猛暑の中をありがとうございました。
一般教養というより、現実に問題を抱えたかたたちが聞きにいらっしゃることが多いのだが、それは話している感触でリアルにわかるものだ。
静岡では9月25日にも講演の予定がある。なんとか夏を乗り切らなくては、と思う。
また直近の講演では、8月10日、火曜日の夜、朝日カルチャーセンターの横浜教室で「共依存とはなにか?」の講演を予定している。
DV被害と共依存の関係はもちろん、親からの愛情、ケアや世話をもう一度問い直すことになるだろう。ぜひ、おおぜいの方に来ていただきたいと思っている。
私の講演会の情報を、このブログで知って聞きにいらっしゃる方が多いことはうれしい。
あえて本ブログを訪れた人数をカウントしないようにしているのだが、たぶん相当数にのぼるはずだ。沖縄から北海道まで、講演会に来ていただいた方たちから「ブログ、楽しみにしてます」と聞かされるのだ。
ツィッターは、とにかく時間がないのでやらないと決めている。宣伝効果があると聞いたが、それと時間をはかりにかけて、やっぱりやらないことにした。
個人的にのぞくのを楽しみにしていたブログが、ツィッターのせいで更新されないという事態が広がっている。それも残念だ。
早くブームが去ってくれるように祈っている。
猛暑を通り越して激暑と表現するらしい。それほどまでに今年の夏は暑い。
さあ、明日からしばしの沈没生活に入ろう。
2010年07月19日
おひさしぶりです
神戸で開催された日本アルコール関連問題学会に参加した。専門講座の講師、分科会のシンポジストと二つの役割をこなした。
まあ、内容は省略しよう。このブログであまり難しいことを書くエネルギーは残っていないので。それほどまでに暑い。
梅雨明けと同時に空は炎天というにはあまりに青く澄み、気温はぐんぐん上昇している。
「父親再生」(NTT出版)は、クロワッサン、日刊ゲンダイなどでとりあげていただいたし、こんどは「週刊ポスト」にも書評が出る予定。男性誌にも女性誌にも注目されてうれしいことである。
神戸の学会でも完売したし・・。
自分のことはさておき、同世代の男性を見て「ああ、老けたなぁ」と感慨にふけることが多い。
その引き金になる現象はいくつかある。
まず、ウェストポーチだ。若いころはけっこうおしゃれだった人が、ウェストポーチで現れた時のショック。
次は、食後の爪楊枝だ。
目の前で、爪楊枝を堂々と使用して「シーハー」とされたときには、ほんとにがっくりする。
着衣もけっこう重要で、還暦過ぎてユニクロが似合う男性は稀有な存在だと自覚すべし。衰えた体躯を包み隠すには、それ相応の工夫とお金が重要だ。目立たないけど上質なものを着てもらいたい。
最後に、お金を払うとき。これも大切なシーンだ。
いちおう、計算書をさっと取り、トイレに行くふりをして支払っておく。これがその場をセッティングした者のエチケットだろう。
それなのに、「割り勘でいい?」と最初から言うとしたら、これも興ざめである。支払ってもらいたいなどといういやしい根性で言っているのではない。学生時代の、おたがいがお金のない状況での飲食とは違うのだ。それなりの社会的ポジションを得た後であれば、もっとスマートにやってもらいたいものだ。
最後に、とにかく「自分のことしか話さない」のは最悪だ。自分の自慢、自分の悩み、自説を滔々と述べることで、おそらく自分は相手(つまり私のこと)と十分にコミュニケーションをとっているつもりになっているらしい。
この錯覚がおそろしい。
還暦を過ぎて、一定の地位を得た男性が坂を転がるように老けていくのは、白髪の増大、禿頭化や、おなかが出ることではなく、上記のような、「他者の目に自分がどのように映っているのか」という配慮を完全にしなくなることで起きるのではないか。
おそらくその芽は若いころから胚胎していたのだろうが、自信のなさと自意識によって抑制されていたのだ。社会的地位と経済力を得たとたんにそれがなくなるとしたら、彼らにとってもっとも大切なことは地位と金だということになる。それを得さえすれば、他者の視線を気にせずとも生きられるとでも?
嗚呼、なんということか・・・。
これはおそらく家族においても同じだろう。「父親再生」にはそのあたりのことを書いた。妻の目に、息子の目に自分がどう映っているのかに対する無関心が、あまりに顕著なのである。
私も気をつけなくっちゃ、と思う。
それにしても、オヤジはもうたくさんだね!





